相続争いとは? わかりやすく解説

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そうぞく‐あらそい〔サウゾク‐〕【相続争い】

読み方:そうぞくあらそい

財産などの相続人決めるために、親族どうしでいさかいになること。


相続争い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:53 UTC 版)

真宗高田派」の記事における「相続争い」の解説

永正7年1510年6月長らく伊勢にいる真慧であるが、一応いまだに高田派本山である下野高田専修寺住持職を応真に譲ろうとした。高田専修寺住持高田派法主意味している。が、応真がこれを辞退したため、常盤井宮家出身で、後柏原天皇猶子であった真智養子とし、真智に跡を継がそうとした。そして永正9年1512年10月に第10世の真慧亡くなると翌11月後柏原天皇真智に対して高田専修寺住持職を承認した。しかし、真智専修寺住持相続したことに反発し、それを認めない僧たちが続出し、彼らは真智対抗するために応真を擁立し、ここに応真と真智との間で相続争いが発生した翌年永正10年1513年2月、応真派の反撃によって天皇逆に真に対して専修寺門流正統承認する綸旨出した。だが真智派の反撃早かった12月天皇一転して応真への綸旨棄破し再び真智高田専修寺住持職を承認した。また真智末代紫衣着し参内して宝祚延長を祈ることをも命じた真智後柏原天皇猶子でもあったので有利な立場だったのは当然ともいえる。真智三河桑子明眼寺菅生満性寺などの有力寺院支援を受け、ますます応真との対決姿勢強めていった。 しかし、応真派の巻き返しもあってなんと永正17年1520年9月室町幕府は応真の高田専修寺住持職を承認、翌永正18年1521年6月には天皇も応真に対して専修寺下野流の相続承認した。 そして、翌大永2年1522年)、この頃一身田専修寺とも言うようになってきた一身田無量寿院を応真が継ぐ代わりに、応真は真智の付弟となることとなった。これによりようやく真智と応真は和解し、応真が第11となって相続争いはひとまず決着した真智三河桑子明眼寺菅生満性寺の他、越前四ヶ寺と呼ばれる大野専西寺・風尾勝鬘寺松木専光寺兵庫西光寺などの大坊主たちを味方に付けていたが、対して応真は伊勢小坊主たち主な味方であった。これにより、伊勢での立場優位であったが、高田派全体として見れば真の立場はいまだ優位ではなかった。 その4年後の大永6年1526年)、本山であった下野高田専修寺兵火のために焼失した享禄4年1531年)の大小一揆の乱の際には高田派朝倉氏三門徒、さらに本願寺破門され賀州三ヶ寺(波佐谷松岡寺山田光教寺・若松本泉寺小一揆)と結び、和田本覚寺藤島超勝寺などの本願寺派大一揆)と対立した天文6年1537年5月、応真が養子堯慧譲状書いて亡くなった。これにより高田派12世は堯慧継いだのであるが、天文8年1539年6月あろうことか幕府真智に対して一身田無量寿院住持職を承認してしまった。これによりまたしても真智との相続争いが再燃してしまった。天文12年1543年3月には幕府は再び真智一身田無量寿院住持職を承認し堯慧立場よけいに悪くなった。しかし真智反抗する僧たちは依然として多く真智一身田無量寿院入れなかった。 永禄元年1558年9月正親町天皇堯慧対し高田専修寺住持職を承認すると、真智同年越前国移動し坂井郡熊坂熊坂専修寺建ててここを本寺として堯慧対抗していく。 永禄3年1560年2月には故応真に権僧正追贈し、堯慧をも権僧正昇任させて堯慧優位確定したかに見えた。だが、朝廷堯慧高田専修寺住持職を認めた同時に真智にも高田専修寺住持職を認め両者争いは全く止むことがなかった。 4月になると本願寺専修寺権僧正極官返上するよう幕府訴えという事件が起きた高田派本願寺派の仲の悪さはここに極まった感がある。が、結局この訴え本願寺敗訴し終わったこの頃伊勢一身田無量寿院正式に本山とし、こちらも正式に一身田専修寺名乗るようになった。やがて下野国高田専修寺を「本寺専修寺」、伊勢国一身田専修寺を「本山専修寺」と呼ぶようになっていく。だが、永禄4年1561年)、永禄5年1562年)と続けて将軍足利義輝真智高田専修寺住持職を認め熊坂専修寺はなお一定の勢力保っていた。 永禄6年1563年)、三河国一向一揆発生した三河一向一揆)が、真智派の寺院である桑子明眼寺菅生満性寺すかさず徳川家康について本願寺派三河三ヶ寺(本證寺上宮寺勝鬘寺)と対立した翌年徳川方勝利した以降三河では天正11年1583年)まで本願寺派禁教とされた。なお、明眼寺家康かくまって助けたことにより「源」の一字与えられ妙源寺改称した

※この「相続争い」の解説は、「真宗高田派」の解説の一部です。
「相続争い」を含む「真宗高田派」の記事については、「真宗高田派」の概要を参照ください。

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