相続争い
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永正7年(1510年)6月、長らく伊勢にいる真慧であるが、一応いまだに高田派本山である下野高田専修寺の住持職を応真に譲ろうとした。高田専修寺の住持は高田派の法主を意味している。が、応真がこれを辞退したため、常盤井宮家出身で、後柏原天皇の猶子であった真智を養子とし、真智に跡を継がそうとした。そして永正9年(1512年)10月に第10世の真慧が亡くなると翌11月後柏原天皇は真智に対して高田専修寺の住持職を承認した。しかし、真智が専修寺の住持を相続したことに反発し、それを認めない僧たちが続出し、彼らは真智に対抗するために応真を擁立し、ここに応真と真智との間で相続争いが発生した。 翌年の永正10年(1513年)2月、応真派の反撃によって天皇は逆に応真に対して専修寺門流の正統を承認する綸旨を出した。だが真智派の反撃は早かった。12月に天皇は一転して応真への綸旨を棄破し再び真智の高田専修寺住持職を承認した。また真智に末代紫衣を着し参内して宝祚延長を祈ることをも命じた。真智は後柏原天皇の猶子でもあったので有利な立場だったのは当然ともいえる。真智は三河の桑子明眼寺・菅生満性寺などの有力寺院の支援を受け、ますます応真との対決姿勢を強めていった。 しかし、応真派の巻き返しもあってなんとか永正17年(1520年)9月、室町幕府は応真の高田専修寺住持職を承認、翌永正18年(1521年)6月には天皇も応真に対して専修寺下野流の相続を承認した。 そして、翌大永2年(1522年)、この頃一身田専修寺とも言うようになってきた一身田無量寿院を応真が継ぐ代わりに、応真は真智の付弟となることとなった。これによりようやく真智と応真は和解し、応真が第11世となって相続争いはひとまず決着した。 真智は三河の桑子明眼寺・菅生満性寺の他、越前四ヶ寺と呼ばれる大野専西寺・風尾勝鬘寺・松木専光寺・兵庫西光寺などの大坊主たちを味方に付けていたが、対して応真は伊勢の小坊主たちが主な味方であった。これにより、伊勢での立場は優位であったが、高田派全体として見れば応真の立場はいまだ優位ではなかった。 その4年後の大永6年(1526年)、本山であった下野高田専修寺は兵火のために焼失した。 享禄4年(1531年)の大小一揆の乱の際には高田派は朝倉氏や三門徒、さらに本願寺に破門された賀州三ヶ寺(波佐谷松岡寺・山田光教寺・若松本泉寺の小一揆)と結び、和田本覚寺・藤島超勝寺などの本願寺派(大一揆)と対立した。 天文6年(1537年)5月、応真が養子の堯慧へ譲状を書いて亡くなった。これにより高田派第12世は堯慧が継いだのであるが、天文8年(1539年)6月にあろうことか幕府は真智に対して一身田無量寿院住持職を承認してしまった。これによりまたしても真智との相続争いが再燃してしまった。天文12年(1543年)3月には幕府は再び真智に一身田無量寿院の住持職を承認し、堯慧の立場はよけいに悪くなった。しかし真智に反抗する僧たちは依然として多く、真智は一身田無量寿院に入れなかった。 永禄元年(1558年)9月、正親町天皇が堯慧に対し高田専修寺住持職を承認すると、真智は同年に越前国に移動し、坂井郡熊坂村に熊坂専修寺を建ててここを本寺として堯慧に対抗していく。 永禄3年(1560年)2月には故応真に権僧正を追贈し、堯慧をも権僧正に昇任させて堯慧の優位が確定したかに見えた。だが、朝廷は堯慧に高田専修寺住持職を認めたと同時に真智にも高田専修寺住持職を認め、両者の争いは全く止むことがなかった。 4月になると本願寺が専修寺に権僧正の極官を返上するよう幕府へ訴えるという事件が起きた。高田派と本願寺派の仲の悪さはここに極まった感がある。が、結局この訴えは本願寺が敗訴して終わった。 この頃に伊勢一身田の無量寿院を正式に本山とし、こちらも正式に一身田専修寺と名乗るようになった。やがて下野国高田専修寺を「本寺専修寺」、伊勢国一身田専修寺を「本山専修寺」と呼ぶようになっていく。だが、永禄4年(1561年)、永禄5年(1562年)と続けて将軍足利義輝は真智に高田専修寺住持職を認め、熊坂専修寺はなお一定の勢力を保っていた。 永禄6年(1563年)、三河国で一向一揆が発生した(三河一向一揆)が、真智派の寺院である桑子明眼寺・菅生満性寺はすかさず徳川家康について、本願寺派の三河三ヶ寺(本證寺、上宮寺、勝鬘寺)と対立したが翌年徳川方が勝利した。以降三河では天正11年(1583年)まで本願寺派は禁教とされた。なお、明眼寺は家康をかくまって助けたことにより「源」の一字を与えられ、妙源寺と改称した。
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