松代藩相続争いとは? わかりやすく解説

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松代藩相続争い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 06:03 UTC 版)

真田信利」の記事における「松代藩相続争い」の解説

信直は真田信之庶長子である信吉次男として生まれる。当時沼田3万石独立したではなく松代藩分領分地であった沼田信吉死後、信直の兄の熊之助が統治していたが、寛永15年1638年)に幼くして没した当時は信直も兵吉を名乗る3歳児だったため、信直の叔父に当たる真田信政相続した。信直に沼田のうちか利根郡小川村5000石を分与され、小川城跡の二の丸陣屋として、寛永16年1639年)から明暦3年1657年)まで母親と共に居住した明暦2年1656年)、祖父松代藩真田信之隠居したに伴い沼田領主であった叔父信政本家松代藩相続し沼田領は代わって信直が領有することになる。 信政2年後明暦4年1658年2月死去した松代藩はまだ存命だった隠居の信之の決定により、信政の子の幸道を後継者とし、幕府届け出た一方で信直は自身が信之の長子信吉の子であることを理由として「真田家の、松代藩正統後継者自分である」と幕府訴え出て、幸道の本藩相続撤回求めた。 信直に正室実家土佐藩老中酒井忠清、信之の長女光岳院殿嫁ぎ先である高力氏後ろ盾となり、大規模な家督騒動展開したが、6月幕府は幸道をもって松代藩後継者最終決定した。このとき、幕命により沼田領は松代藩から分離独立させられ、信直を藩主として沼田藩として立藩した。

※この「松代藩相続争い」の解説は、「真田信利」の解説の一部です。
「松代藩相続争い」を含む「真田信利」の記事については、「真田信利」の概要を参照ください。

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