兄弟との遺産相続争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 08:41 UTC 版)
「アルフォンソ6世 (カスティーリャ王)」の記事における「兄弟との遺産相続争い」の解説
カスティーリャ・レオン王フェルナンド1世とレオン王アルフォンソ5世の娘サンチャとの間に次男として生まれた。兄はカスティーリャ・レオン王サンチョ2世、弟はガリシア王ガルシア2世(gl)。姉にウラカ(en)とエルビラがいる。 父は領土を分割しイスラム教諸国(タイファ)からの貢納金(パリア)も分配、アルフォンソにレオンとトレド王国からのパリア、サンチョ2世にカスティーリャとサラゴサ王国からのパリア、ガルシア2世にガリシアとセビリア王国からのパリアを与えた。また、ウラカとエルビラにはサモラとトロを与えた(相続は王国全ての修道院とも)。 1065年に死んだ父の遺言に従いアルフォンソ6世はレオンを相続、1068年に一括相続を狙う兄サンチョ2世と交戦したが、1071年に協力してガルシア2世をセビリアへ追放した。ところが翌1072年1月にアルフォンソ6世も兄に捕らえられてブルゴスへ幽閉され、レオンは兄に征服された。アルフォンソ6世は姉ウラカの手引きで脱獄してトレドへ亡命、ウラカは家臣ペドロ・アンスレス伯と手を組んでサモラに立て籠もりサンチョ2世に抵抗、包囲が長引くうち、サンチョ2世は同年10月に暗殺され、亡命先から復帰したアルフォンソ6世はそっくりそのままカスティーリャとレオンを継承出来た。そして、翌1073年に同じく復帰しようとしたガルシア2世を捕らえて1090年に死ぬまで閉じ込めた。これにより、アルフォンソ6世はガリシア王位も継ぎ、カスティーリャ=レオン王国を再び統合した。
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