兄弟の争いについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 14:59 UTC 版)
日本の古代ギリシア文学研究者で『ギリシア・ローマ神話辞典』の著者、高津春繁(1908年 - 1973年)は、アトレウスの伝説は種々に変更が加えられたために相互に矛盾する話が多いとする。テュエステースとの争いについてはホメーロス以後のものであり、いろいろな所伝があると述べている。 イギリスの詩人ロバート・グレーヴス(1895年 - 1985年)は、著書『ギリシア神話』の中で、アトレウスとテュエステースの神話は、アルゴスの王座をめぐるアクリシオスとプロイトスの神話にも見られるように、統治権をめぐる共同統治王たちの争いをもとにしているようだと述べている。古代の聖王とその後継者は、王は太陽が最北端の点に到達する夏至の日まで統治し、後継者が彼を殺して王位を奪う。その間、太陽は南に移動してやがて冬至となる。後継者は先王の妻と結婚するため、相互の憎み合いはいっそう激しいものとなった。このようにして、アトレウスとテュエステースもアーエロペーをめぐって争ったとする。また、ヘブライ人やペリシテ人たちの王が統治期間の終わりに定められた死を免れ、統治期間を延長することを許されたように、アトレウスもまたミュケーナイで同じような猶予を与えられたのではないかとする。さらに、アトレウスに肩入れするゼウスとテュエステースを保護するアルテミスの存在についてもグレーヴスは指摘している。ここでゼウスと対立するアルテミスは、アポローンの妹の処女神ではなく、初期の家母長制時代のアルテミスである。
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