公共建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 03:23 UTC 版)
公共建築は、ポリスの政治形態が成立する紀元前6世紀頃から建設され始めた。古代ギリシアでは、その完成度の高さから神殿のみ参照されることが多いが、神殿を含めた公共建築こそが、ギリシア建築の独創性を物語っていると言ったほうがよいかもしれない。 古代ギリシア社会の特徴として、しばしば公共に対する意識の発達が挙げられる。実際に、都市の中心部には、社会活動のための公共広場であるアゴラが置かれ、プリタネイオン(評議会)、ブウレウテリオン(百人会会議場)、そして今日の多目的ホールに近いストアなどの公共建築が設けられていた。 アゴラを形づくる主要な建築物はストアである。紀元前6世紀頃から作られはじめ、通常、1列あるいは2列の列柱の背後に、壁もしくは小部屋を設けた。場合によっては、ストアに公共施設が組み込まれることもあった。プリタネイオンは都市の中心部におかれる矩形平面の建築物で、ヘスティアへの礼拝室、外国の使節団や要人と評議員との会食室、そして貴重な記録の保管場所の3室から構成される。一般的に、それぞれの部屋が列柱廊に面し、中庭をはさんでアゴラに面している。同じくアゴラに面して建設されたブウレウテリオンは、百人会が行われていた場所で、神殿の内陣の規範となった矩形建築物であった。初期の段階では劇場のように半円に座席を設けることが多かったが、次第に壁に沿って矩形に議員の座席を設けるようになる。このような座席配置と中央に廊下をとる構成は古代ローマの元老院、そして現代イギリスの下院議会に通じる。 これらの建築物は、ギリシアの社会構造の形成過程や組織体系をはっきりと示しており、一般的に時代が下るにつれて機能が細分化され、内部空間が拡大されていく様子がわかる。 エレウシスのデメテル神域では、テレステリオンと呼ばれる入信の儀式などに用いられた矩形の大ホールがある。紀元前525年頃までは、ミケーネ時代のメガロン形式(長方形平面)であったが、ペイシストラトスによって一辺約28mの正方形平面に改築された。しかし、この時の建物は内部に25本の円柱が並び立ち、中央に対する視界が遮られてしまうものであった。その後、建築家イクティノスによって約50m四方の建物に拡張されたが、彼は49本の柱を放射状に配置することによって視界を確保した。彼の設計は、プリエネに遺るエクレシアステリオンなどで模倣されているが、一般にはすぐに採用されず、その後しばらくの間は多くの柱で屋根を支える形式が好まれたようである。 ギリシアでもう一つ目を惹く公共建築は劇場である。古代ギリシアの劇場は、紀元前4世紀以前はほとんど定型的な形式を持たず、単に平たい場所が用意されただけのものであった。紀元前4世紀頃から、自然の傾斜地を利用した半円形の客席が円形のオーケストラを取り囲む形式が一般的となり、ヘレニズム時代においてようやく完成される。ドドナ、プリエネ、エピダウロス、セゲスタ、ミレトスの劇場は、今日でもその姿を留めている。
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