ぐうぞう‐はかい〔グウザウハクワイ〕【偶像破壊】
偶像破壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/29 18:42 UTC 版)
偶像破壊(ぐうぞうはかい)とは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教において偶像崇拝の風習を排撃することである[1]。特にキリスト教の運動とされることがある[2]。
また、一般に偶像的とされるもの、例えば伝統的な権威などを批判し排斥することを指すときもあるが[1]、本項でこれは述べない。
ヘブライ語聖書、旧約聖書
ヘブライ語聖書、旧約聖書には、イスラエルの神が他の宗教の偶像を破壊するように命じた記述がある[3][4][5][6]。
キリスト教
偶像
全てのキリスト教会において、教義上で偶像崇拝(εἰδωλολατρία)は禁じられているが、教会、教派によって破壊する偶像の範囲が異なる。
イコンを偶像と捉えて否定する教会と、偶像と捉えず肯定する教会に分かれる。
宣教史
他の宗教を信仰している人々が住む地域への福音宣教によってキリスト教は広まったが、聖ボニファティウスは異教徒たちの拝むオークの木に斧を打ち込んだと伝えられている[7]。
カトリック教会
日本のカトリック教会
1985年のカトリック中央協議会発行の『祖先と死者についてのカトリック信者の手引』で、家全体がカトリックになったらできれば家庭祭壇だけにしたらいいが、親戚づきあいで仏壇を除去できない場合はそれを安置してもかまわないとし、仏壇を家庭祭壇として使う場合には、仏像、掛け軸を他に移して、キリスト像、十字架像、マリア像を置き、位牌も一緒におくこともできるとしている。また、死者との交わりを深めるのは家族の務めであり、死者のための祈りをするように教えている[9]。
プロテスタント
改革派教会においてはローマ教皇を中心とするカトリック教会の刻んだ像も偶像と断定して除去した[10]。この系統のプロテスタントにおいては今日でもその立場である[11][12][13]。
ドイツルーテル教会のマリア福音姉妹会創立者マザー・バジリア・シュリンクは、キリスト教に回心した者たちは、呪物や偶像を焼き払うことを常にしてきたのであり、以前の宗教の音楽から手を切り、悪霊に関わる儀式や場所から離れることも要求されていると述べている[14]。
日本のプロテスタント
日本に多い宗教は仏教や神道である。特に戦後の福音派は仏壇、神棚など日本の他宗教の偶像を聖書通りに取り扱うように教えてきた。
滝元明は、偶像崇拝は神の御前に最も大きな罪であると述べ、申命記に書かれている神の命令を引用している[15]。
ただし、戦前の教会は偶像に対して異なる立場をとったことがある。戦前の教会が偶像問題に対して妥協的であった理由として、旧約聖書の知識に欠けていたことがあげられ[23]、自由主義神学、高等批評によって信仰が骨抜きにされてきたと指摘されている[24]。これは旧約に他宗教に囲まれた神の民が偶像に対応した歴史が書かれているからである[25]。
日本キリスト改革派教会創立者で、聖書信仰運動の指導者岡田稔は、植村正久や内村鑑三は偶像教徒から回心して真の神を信じるようになった偉人だが、聖書観が弱かったと指摘している[26]。植村自身は偶像崇拝を否定した[27]。
脚注
- ^ a b 新村出 編『広辞苑』(第六版)岩波書店、東京都千代田区一ツ橋2-5-5、2008年1月11日、783頁。ISBN 978-4-00-080121-8。
- ^ 『日本国語大辞典』
- ^ 『新聖書辞典』
- ^ 『新聖書注解』
- ^ 滝元明『千代に至る祝福』CLC出版
- ^ 尾山令仁『聖書の概説』羊群社
- ^ メンデル・テイラー『伝道の歴史的探究』福音文書刊行会
- ^ 黒川知文『ロシア・キリスト教史』教文館
- ^ 日本カトリック諸宗教委員会『祖先と死者についてのカトリック信者の手引』ISBN 978-4-87750-021-4
- ^ 岡田稔『岡田稔著作集』いのちのことば社
- ^ インターナショナル・チャペル・ミニストリーズ『プロテスタントとカトリックの団結ですか?』ICM出版
- ^ マーティン・ロイドジョンズ『キリスト者の戦い』いのちのことば社
- ^ チャールズ・ホッジ『カトリックとは何ぞや:ロマ・カトリック教と聖書的キリスト教』聖書図書刊行会
- ^ バジレア・シュリンク『惑わす者に打ち勝つ道』カナン出版 p.39-40
- ^ 『千代に至る祝福』p.55
- ^ 『神社参拝拒否事件記録』美濃ミッション
- ^ 小野静雄『日本プロテスタント教会史』聖恵授産所出版
- ^ 奥山実他『教会成長シンポジウム』新生運動
- ^ インターナショナル・チャペル・ミニストリーズ『クリスチャンと仏教のお葬式』ICM出版
- ^ 勝本正實『日本の宗教行事にどう対応するか』いのちのことば社
- ^ 橋本巽『日本人と祖先崇拝』いのちのことば社
- ^ 奥山実『悪霊を追い出せ!』マルコーシュ・パブリケーション
- ^ 中央神学校史編集委員会『中央神学校の回想-日本プロテスタント史の一資料として』
- ^ ジョン・M.L.ヤング『天皇制とキリスト教』(日本における二つの帝国)燦葉出版社,The two empires in Japan by John M. L. Young
- ^ 中村敏 『日本における福音派の歴史』いのちのことば社 p.41
- ^ 岡田稔『キリストの教会』小峯書店
- ^ 『神社問題とキリスト教』新教出版社
参考文献
関連項目
偶像破壊
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「オスマン帝国の対プロテスタント政策」の記事における「偶像破壊」の解説
「イコノクラスム」および「en:Islamic influences on Christian art」を参照 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} '左図: ユトレヒトの聖マーチン教会にあるレリーフ像は、16世紀にプロテスタントのより破壊された。 右図: 11世紀に描かれたL'Histoire Merveilleuse en Vers de Mahometにある図。ムハンマドがカアバの偶像を破壊している。 イスラムの方がより厳格であれ、偶像破壊は、明らかに、プロテスタントとイスラムの共通点である。このことは、かなり以前から広く認識されていた。イギリスのエリザベス1世とオスマン帝国との往復書簡にみられ、その中では、プロテスタントは、カトリックよりもイスラムに近いことをほのめかしている。マルティン・ルターがその著『トルコに対する戦争』の中で、この点を発展させている。この中で、トルコの厳格な偶像破壊を次のように賞賛している。 「トルコ人は、如何なる像も絵画も許さないことは、トルコの神聖さの一部であろうし、我々の偶像破壊者以上に神聖である。というのも、我々の破壊者は、グルデン、グロッシェンや指輪、装飾品に図像を認めているが、トルコ人は全く認めていないし、貨幣にも文字を刻印するだけであるからだ。」 —'マルティン・ルター、『トルコに対する戦争について』、1529
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