偶像、批判、研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 05:13 UTC 版)
「ムハンマド・アリー・ジンナー」の記事における「偶像、批判、研究」の解説
パキスタンにおいて、ジンナーは、「カーイデ・アーザム(もっとも偉大な指導者)」として尊敬を集める存在であり、10パキスタン・ルピーを越える高額紙幣にジンナーの肖像画が描かれている。また、現在、ジンナー国際空港と呼ばれるカラチの国際空港はかつては、カーイデ・アーザム国際空港と呼ばれていた時代もあり、パキスタン航空のハブ空港で、国内随一の国際空港でもある。 ジンナーの名前を採用している道路はイスラーム世界に広がっており、トルコ・アンカラ最大の通りCinnah Caddesi、あるいはイラン・テヘランで最も新しい高速道路の名前もジンナーにちなんでいる。 かつてジンナーは、イギリス領インド帝国から分裂独立を招いた張本人という神話が存在した。このジンナーに対する評価は、インド総督の秘書官として活躍したメーナンの著作、"The Transfer of Power in India" (Orient Longman, 1957)の影響が大きい。イギリス帝国主義によって分割統治が展開されたインドにおいて、イギリスの政策にムスリム連盟が乗った形で、ヒンドゥー国家とは別の国家を無理にジンナーが中心となって建設しようとしたことから、インドとパキスタンの分離独立に際してインド側から多くのムスリムが、またパキスタン側から多くのヒンドゥーが流出したのだ、という神話である。 しかし今日では、ジャラール・アーイシャの著作、あるいは約30年間(1988年まで、30ページ分)の出版が、封印されていたモウラーナー・アーザードの"India Wins Freedom"(Orient Longman, 1957)が公刊され、ジンナーに対する評価は見直されてきた。前者ジャラールでは、インド総督のルイス・マウントバッテンが、独立発足の形をどのようにするかを迫る1947年6月3日の独立交渉最後の最後まで、ジンナーは統一インドとしての独立を希望し、逆に国民会議派がジンナーとムスリム連盟の選択肢を奪っていったことを描写した。そしてアーザードの封印された30ページが公にされると、これがジャラールの描写と一致していた事で、歴史研究においてジンナー評価が、再考を要することになった。
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