Tu-22M3
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:35 UTC 版)
「Tu-22M (航空機)」の記事における「Tu-22M3」の解説
Tu-22M2からの更なる改良型、Tu-22M3(NATOコードネーム:バックファイアC)が、1977年に初飛行した。ソ連空軍では1983年に第185親衛重爆撃隊への配置が始められ、ソ連海軍では1985年に黒海艦隊航空部隊への配置が始められている。また1992年には、イギリスのファーンボロー国際航空ショーで西側諸国に公開されている。 新しくより強力なNK-25ターボファンエンジンを2搭載し、アフターバーナー出力使用時の最大推力は14%増しの245kNとなった。最高速度向上に合わせ、空気取入れ口が設計変更され、F-15 イーグルやMiG-25に似た可変面積型の二次元型空気取入れ口を新たに採用し、エンジン空気取入れ用ハウジングにある補助空気取入れ口を3個並んでそれが3列ある方式の計9個に変更となり、外翼可動幅が広くなった。ノーズハウジング(先頭部分)は上向きになったうえに大型化し、レーニネツ(「レーニン主義者」の意味)PN-ADレーダーとNK-45航法・射撃統制システムを搭載した。これらの改良の結果、非常に改善された低高度飛行(地形追尾ではない)ができるようになった。 2門搭載されていた胴体尾部の砲は1門となり、砲塔の形が改善され、尾部砲塔の射撃管制レーダー「ボックス・テイル」を収めるレードムの形状は切り落とし型となった。 ドゥーガ Kh-15(ロシア語版、英語版)(NATOコードネーム AS-16“キックバック”)短距離攻撃ミサイルを搭載するために、回転式ランチャーにKh-15Pが6発が装着され、爆弾倉内に取付けられるようになっており、ほかにも、Kh-31A/P(NATOコードネーム AS-17“クリプトン”)、Kh-35(NATOコードネーム AS-20“カヤック”)空対地ミサイルなどを搭載可能である。この新型機は、M2よりも良い性能を示した。この機は乗員からトロイカ(ロシア語で「3番目」の意)のニックネームで呼ばれたが、これはTu-22Mのロシアでの運用に関して時々言及される。 なお、可変後退翼機はスペース節約のため、駐機中は主翼を最後退位置にするのが普通だが、M3はアメリカに最高速度向上を悟られないために、主翼をM2と同じ位置で固定していた。 Tu-22M3のうち少数(おそらく12機)が、Tu-22M3(R)またはTu-22MRとして、ショームポル側方監視レーダーとELINT(電子情報収集)装備を取り付けられた。また、1986年には爆弾倉内に半埋め込み式ポッドを装備し、空気取入れ口ダクトとドーザル・フィン付け根部分に電波透過材を使用したパネルを取付けて、その中に電子センサー類を収めた、ミアス電子戦機器を装備する電子戦専用の派生形Tu-22MPが計画されたが、これは2-3機のプロトタイプが作られたに過ぎない。若干のTu-22Mの稼働機はアビオニクス装備を換装し、Tu-22MEとして運用されているが、NATO側では特に原型と区別していない。 正面 下方より 編隊飛行を行うTu-22M3 乗員昇降用タラップを付けたTu-22M3 離陸するウクライナ空軍のTu-22M3 Tu-22M3の前部コックピット Tu-22M3の後部コックピット Tu-22M3のブラックボックス
※この「Tu-22M3」の解説は、「Tu-22M (航空機)」の解説の一部です。
「Tu-22M3」を含む「Tu-22M (航空機)」の記事については、「Tu-22M (航空機)」の概要を参照ください。
- Tu-22M3のページへのリンク