Tu-22M2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:35 UTC 版)
「Tu-22M (航空機)」の記事における「Tu-22M2」の解説
最初の量産型は、1972年から製造のTu-22M2(NATOコードネーム:バックファイアB)である。1973年5月7日に初飛行、1976年からソ連空軍・海軍への配備が始まっている 主翼を延長し、広範囲にわたり再設計され、搭乗員の空間確保のため胴体断面積を拡大した。エンジンはNK-22 2基に変更、着陸装置も改良された。尾部砲塔の射撃管制レーダー「ボックス・テイル」を収めるレードム形状も変わっている。 いくつかのTu-22M2は、後にエンジンをより強力な NK-23に換装しTu-22M2Yeとされた。 Tu-22M2は、Tu-22M0より優れた性能と改良されたコクピットだったが、居住性と信頼性に問題があり、乗員には「ドヴォーイカ」というニックネームで呼ばれていた。これは「数字の2」という意味であるが、そこから派生して「2番目の奴」、「5段階評価で2」つまりは「落第点」を意味する単語でもある。 機首方向から見たTu-22M2空中給油受油装置は撤去されている ノルウェー空軍のF-16戦闘機の要撃を受けるTu-22M2(1988年撮影) ウクライナ空軍のTu-22M2
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