TOKIO (沢田研二の曲)とは? わかりやすく解説

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TOKIO (沢田研二の曲)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 05:05 UTC 版)

「TOKIO」
沢田研二シングル
初出アルバム『TOKIO
B面 I am I (俺は俺)
リリース
規格 7インチシングル
ジャンル テクノポップ
時間
レーベル ポリドール(現・ユニバーサルミュージック
作詞・作曲 作詞:糸井重里
作曲:加瀬邦彦
プロデュース 加瀬邦彦
森本精人
松下章一
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 8位(オリコン
  • 1980年度年間39位(オリコン)
  • 2位(ザ・ベストテン
  • 1980年年間順位20位(ザ・ベストテン)
  • 沢田研二 シングル 年表
    ロンリー・ウルフ
    1979年
    TOKIO
    1980年
    恋のバッド・チューニング
    (1980年)
    テンプレートを表示

    TOKIO」(トキオ)は、沢田研二の29枚目のシングル1980年1月1日ポリドール・レコード(現・ユニバーサルミュージック)より発売された。

    解説

    • アルバム『TOKIO』からのシングルカット。シングル・ヴァージョン。
    • 沢田研二人気投票曲ランキングでは、第3位を記録[1]。音楽ストリーミングサービスSpotifyの再生数でも人気が非常に高く、代表曲の一つでもある。
    • 電飾の施されたスーツを纏い、赤と白の縞模様のパラシュートを背負ってテレビ番組などで歌う姿は注目を集めた。これらの衣装は総額250万円もの費用をかけて制作されたという。なお、このパラシュートのアイデアは沢田本人が提案したものである。
    • 沢田は後に「いろんな人たちが演奏して去っていった曲」と回想している。最初はソロデビュー以来約10年連れ添ったバックバンド『井上堯之バンド』が演奏していたが、井上堯之が「パラシュートのせいでテレビに映らない。やってられない。」と違和感を覚え、ドラムの鈴木二朗以外のメンバーも「嫌だ」と言い去ってしまい[注釈 1]、バンドは解散となった。その後のバックバンド『オールウェイズ』、『エキゾティクス』もパラシュートの演出を不満に思い、「背負わないなら一緒にやってもいい」と言ったそうである。その後の沢田は、自分が責任を一身に負う代わりに、自分の好みに合わせてくれるバンドメンバーを集めるようになっていったという[2]
    • 2022年発売の沢田のシングル「LUCKY/一生懸命」のカップリング曲に、斎藤有太が編曲し、大幅にアレンジをされた「TOKIO 2022」が収録されている。

    収録曲

    1. TOKIO(4分36秒)
    2. I am I(俺は俺)(5分47秒)
      日産自動車ダットサンブルーバード910(キューイチマル)型(発売当初)CMソング

    カバー

    TOKIO

    脚注

    注釈

    1. ^ 実際には鈴木二朗と羽岡利幸の2人が残留し、オールウェイズに参加した。

    関連項目

    外部リンク




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