NASAの対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 17:20 UTC 版)
「チャレンジャー号爆発事故」の記事における「NASAの対応」の解説
チャレンジャー事故の後、ロジャース委員会の結論が出るまでシャトルの飛行は中止された。1967年に起きたアポロ1号火災事故の際はNASAの内部調査で済まされたが、今回は外部の目ははるかに厳しかった。ロジャース委員会はNASAに対しシャトル計画の安全性に関する9つの改善項目を提案し、NASAはレーガン大統領からこれらの提案をどのように実行するか30日以内に計画を取りまとめて報告するよう求められた。 ロジャース委員会からの改善案を受けて、NASAは固体燃料補助ロケットの全面的な再設計に着手した。これはロジャース委員会が付加した条件の通り、独立した監視機関による監督下で進められた。NASAがSRBの開発担当企業であるサイオコール社と取り交わした契約書には、「人命の損失または計画の失敗」に至るような失敗が生じた場合、サイオコール社が契約代金から1億ドルの違約金を支払うと共に失敗の法的責任を負うという条項が含まれていた。チャレンジャー事故の後、サイオコール社は法的責任の強制を免れる代わりに金銭的な賠償を「進んで受け入れる」ことに同意した。 NASAはまた「安全性、信頼性および品質保証室」を新たに設置した。これはロジャース委員会の指定により、NASA副長官が室長を務めNASA長官に直接報告するようになっていた。その室長として元マーティン・マリエッタ社所属のジョージ・マーティン(George Martin)が任命された。チャレンジャーの前飛行責任者ジェイ・グリーンは、理事会の中で安全対策部の部長となった。 ロジャース委員会は、NASAが固執してきた非現実的なまでに楽観的な発射スケジュールも事故の根本原因の一つだった可能性があるとして批判した。事故後、NASAはシャトルの稼働計画をもっと現実的なものにするよう試みた。失われたチャレンジャーに代わる軌道船としてエンデバーを新造し、また国防総省と協力して人工衛星の打ち上げにはシャトルではなく使い捨て型ロケットの適用機会を増やした。1986年8月、レーガン大統領はまた今後シャトルでは商用衛星は運搬しないと表明した。32か月間の中断の後、STS-26の打ち上げによりシャトル任務が再開したのは1988年9月29日のことだった。 チャレンジャーの事故の後、NASAでは幾つか顕著な改革がなされたが、多くの評論家はNASAの管理構造と組織文化における変化は深いものでも長続きするものでもないと評した。2003年にコロンビア号空中分解事故が発生した際、NASAによる安全上の問題への管理姿勢が改めて疑惑の的になった。コロンビア事故調査委員会(en:Columbia Accident Investigation Board, CAIB)はNASAはチャレンジャーの教訓からほとんど何も学ばなかったと断定した。なかんづく、NASAは安全管理のための真に独立した部門を設立していなかった。この点に関し、CAIBは「ロジャース委員会へのNASAの対応は同委員会の意向に適うものでは無かった」と感じた。CAIBの信ずるところ「チャレンジャー号事故の責を負うべき制度的な失敗の根本原因は正されておらず」、チャレンジャーの事故を引き起こしたのと同じ「意志決定過程の欠陥」が、17年後にコロンビアの破壊をもたらしたのだという。
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