KDDIグループ入り後の事業展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:09 UTC 版)
「ツーカー」の記事における「KDDIグループ入り後の事業展開」の解説
1999年3月後半、日産自動車がDDIからツーカーセルラー株を買い取った後にジェイフォンに経営統合させる案を検討していたことと、DDIがcdmaOneサービスで提携していたトヨタ自動車系のIDOとの経営統合を想定してツーカーセルラー株の手放しを表明したことから、日産自動車はツーカー3社とデジタルツーカー6社を一括して、デジタルホングループの主体だった旧・日本テレコムに株式譲渡する予定だった。しかし同年7月後半、DDIは株式売却価格への不満を理由にしてツーカーセルラー株の手放しを撤回し、この影響で唯一DDIとの関わりが無かったツーカーホン関西もDDI傘下入りした。 1999年10月に、デジタルツーカーの地域会社はジェイフォン(旧デジタルホングループ)に吸収されたことから、ツーカーセルラーグループ3社では全国をカバーせず、営業外区域(旧「デジタルツーカー」区域)においては、2008年3月のサービス終了まで引き続きジェイフォン(後のボーダフォンジャパン→ソフトバンクモバイル、現・ソフトバンク)とのローミングにより全国におけるサービスを維持提供することになった。これにより、ショートメールサービスはジェイフォン側の「スカイメッセージ」を継続採用し(後身のソフトバンクモバイルと相互送受信可能)、携帯電話IP接続サービスはジェイフォンのローミングにおいてもIDO・DDIセルラー連合(後のau)と同じEZwebを提供するというねじれ状態が生じる事になった。なお、後にTU-KA事業を実質的に巻き取ることになるauとは周波数帯・通信方式は終始異なっていた。 占有率においてはデジタルツーカーがジェイフォンに吸収されたこともあり、イー・モバイル(のちワイモバイル、現在はソフトバンクに吸収)の新規参入までNTTドコモ・au(KDDI・沖縄セルラー電話連合)・ジェイフォンに続く加入者数で最下位であった。 2000年に親会社のDDIがIDO・KDDと合併しKDDIとなり、2001年に「第3世代携帯電話(3G)」への移行を行わない方針を決定。当時の総務省は3Gの参入事業者は全国で3社のみ(事実上、東名阪以外で携帯電話事業を行っていた3社)に制限することとしており、KDDIは3Gを全国でサービス展開しているau携帯電話に一本化することとしたためである。また、将来的に新規参入が出来ることとなっても投資所要額が巨額となることもあって、当面は準備もしないこととした。 2G(PDC)サービスのみの提供を決断してからはローコスト・レガシーデバイスのメリットを追及した事業展開を開始した。2000年12月にツーカーホン関西が業界初の2年契約(縛り)の基本料金割引プラン「ツーカーV3(ブイスリー)」を提供を開始したほか、64和音の着信メロディが再生できる端末「funstyle」(正式な機種名は『TK11』)を発売するなど、auと比べて高性能ではない機種を取り揃えて廉価な料金で提供するといった棲み分けを図り、より独自性の強いサービスを提供し差別化を模索していた。auをレイトマジョリティ以上の層へ向けたサービスとして構築し、残ったラガードの層をツーカーで獲得する狙いもあった。なお、2年契約の基本料金割引プランはローミング提携先でもあるボーダフォンジャパンが2002年にハッピーボーナスを導入し、auもMY割で追従することになった。 2004年にはダウンタウンの松本人志をCMキャラクターに起用し、「通話とメールだけのシンプルなケータイ」というコンセプトを打ち出した。さらに「ツーカーシンプル料金シリーズ」として通話・通信料のわかりやすい料金プランや骨伝導式スピーカー付き携帯電話、説明書がいらないほどのスペックと使いやすさである“ケータイ版黒電話”ことツーカーS(TK50)といった特色ある端末、サービスを提供してきた。なかでも「ツーカーS」に関しては特に65歳以上の高齢者層(2004年 - 2005年当時)の大きな反響を呼び、ライバルNTTドコモも同様の機種(らくらくホンシンプル(D880SS))で追随し、また、親会社のKDDIは将来のツーカーのauブランドへの統合を想定し、通信方式の違いを除きほぼ同型の機種「簡単ケータイS(A101K)」を発売した。
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