ガッシャーブルムII峰
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 13:46 UTC 版)
ガッシャーブルムII峰 | |
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標高 | 8035 m |
所在地 | ![]() ![]() |
位置 | 北緯35度45分00秒 東経76度39分00秒 / 北緯35.75000度 東経76.65000度座標: 北緯35度45分00秒 東経76度39分00秒 / 北緯35.75000度 東経76.65000度 |
山系 | カラコルム山脈 |
初登頂 | フリッツ・モラベック、ヨーゼフ・ラルヒ、ヨハン・ヴィーレンパルト(1956年) |
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ガッシャーブルムII峰(Gasherbrum II, ウルドゥー語: گاشر برم -2)は、中国とパキスタンの国境のカラコルム山脈・ガッシャーブルム山塊にある山である。
標高8035 mで、世界第13位。「ガッシャーブルム」はチベット語で「輝く峰」の意味であるといわれることが多いが、実際はバルティ語(現地のチベット語方言)で「美しい山」("rgasha" (美しい) + "brum" (山))を意味する。
インドの測量局のカラコルム測量時の測量番号はK4。
登頂歴
- 1956年7月7日 - オーストリア隊のフリッツ・モラベック、ヨーゼフ・ラルヒ、ヨハン・ヴィーレンパルトが初登頂。無酸素。
- 1984年 - ラインホルト・メスナー、ハンス・カマランダーがガッシャーブルムI峰との初縦走。
- 1990年7月26日 - イエティ同人隊の遠藤晴行、鈴木孝雄、田辺治、遠藤由加が無酸素登頂。
- 1993年7月31日 - 小西浩文、戸高雅史、山野井泰史らが無酸素登頂
- 2005年 - ゲルリンデ・カルテンブルンナーが無酸素登頂
- 2007年6〜7月 - 竹内洋岳が登頂中に雪崩に巻き込まれ、腰椎破裂骨折などの重傷を負う。同行者2名死亡。
- 2008年7月8日 - 竹内洋岳がクラシックルートを無酸素にて登頂。
- 2011年2月2日 - シモーネ・モーロ、デニス・ウルブコ、コートニー・リチャーズが冬季初登頂。
関連項目
外部リンク
ガッシャブルムⅡ峰 追悼報告書(1976年登攀倶楽部 カラコルム遠征隊)
「Gasherbrum II」の例文・使い方・用例・文例
- フェーズIとフェーズIIで許容副作用を伴い効果的であることが示される治療あるいは薬品の大規模な臨床試験
- 1228年から1229年までの十字軍は、病気になった神聖ローマ帝国皇帝フレディリックIIで導いて、法王によって破門されました
- 330,000人の連合軍隊が敵火の下で絶望的な退却において、北フランスの浜辺から避難しなければならなかった世界大戦IIの陸海空共同の避難(1940年)
- 腎臓にアンジオテンシンIIができるのを阻止し、動脈を弛緩してくれる抗高血圧薬
- アンジオテンシンIIへのさきがけであるアンジオテンシンの生理学的に不活発な形態
- 高血圧を治療するのに用いられるアンギオテンシンII抑制剤
- ASCII文字セットは最も一般的に用いられている文字セットである
- 王を補足したと考えられるI歴代志とII歴代志の旧約聖書の旧名
- ウルガタ聖書(IIエスドラス書を除いて)に含まれるが、ユダヤやプロテスタント版の聖書では省略される旧約聖書の14冊
- I歴代志、II歴代志、エズラ、およびネヘマイアからの編集から成る外典
- フレディリック神聖ローマ帝国皇帝IIを破門して、聖地に対して新しい十字軍を計画していた1245年の西方教会の協議会
- キャサリンIIの愛人であり、1762年に彼女が権力を握る支援を行ったロシアの役員で政治家
- 遺伝的に第VIII因子が欠乏するために生じる血友病
- アンギオテンシンIをアンギオテンシンIIに変えるタンパク質分解酵素
- 血液凝固において、トロンビンは第XIII因子をフィブリンが分解しにくい凝血塊の形成を引き起こす(フィブリナーゼ)活性型に触媒する
- パーシングIIというミサイル
- SALTII条約という2国間軍縮条約
- SALTII条約という2国間軍縮条約の内容
- 宇宙開発事業団と航空宇宙技術研究所は,2004年にH-IIAロケットでHOPE-Xを打ち上げる計画をしていた。
- 72歳の映画監督と彼の息子は,9月25日,新作映画「バトル・ロワイアルII」の製作を発表するため,記者会見を行った。
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