Austin-Healey 100とは? わかりやすく解説

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オースチン・ヒーリー100

(Austin-Healey 100 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 08:31 UTC 版)

オースチン・ヒーリー100は、1953年から1956年の間に、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)により製造されたスポーツカーである。日本ではヒーレーと表記、発音されることも多い。

「100」(ハンドレッド)は後に「ビッグ・ヒーリー」と呼ばれることとなる[1]3タイプ中の最初のモデルにあたる。後継の「100-6」(ハンドレッド・シックス)は、寸法、外観、メカニズムの点で「100」よりも最終型の「3000」と多くの共通点を持った別モデルである。

この車は、ドナルド・ヒーリーにより、ウォリックにあった彼の小さな会社において、オースチンA90アトランティック(Austin Atlantic 英語版)のメカニズムを元にして開発された。ヒーリーは1952年のロンドンモーターショー[2]に向け1台のヒーリー100を製作。そのデザインオースチン社長であったレナード・ロードに大きな感銘を与え、オースチンのロングブリッジ工場量産される契約がヒーリーとの間に結ばれ、その車は「オースチン・ヒーリー100」と改名された。

「100」という名は、ドナルド・ヒーリーが名付けたものだが、これはこの時代にはほとんど存在しなかった、100 mph時速100マイル) を達成できる車両であることに由来する。それに対し、後継である「オースチン・ヒーリー3000」の名は、搭載していた直列6気筒の 3,000 cc エンジンに由来している。

100(BN1、BN2)

100
BN1/BN2
1956 オースチン・ヒーリー 100 ロードスター
概要
製造国 イギリス
販売期間 1953年-1956年
ボディ
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 2.66L 直列4気筒
変速機 3MT(BN1) / 4MT(BN2)
車両寸法
ホイールベース 2,286mm
全長 3,835mm
全幅 1,524mm
全高 1,251mm
その他
生産台数 14,634台
系譜
後継 オースチン・ヒーリー 100-6、BN4
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オースチン・ヒーリー100の生産は、オースチンのロングブリッジ工場においてA90のラインの隣で行われ、ベースとなったA90のシャーシに、ウェスト・ブロムウィッチにあったジェンセンにて製作、塗装がされたボディを載せて仕上げられた。以前この両社は、オースチンA40スポーツの開発計画を共同で進めていた。

最初の100(シリーズBN1)は、A90と同じ90 hp(67 kW)のエンジンマニュアルトランスミッションを装備していたが、トランスミッションは3速ユニットに、2速と3速にオーバードライブを持つようモディファイされている。2,660 cc の水冷直列4気筒エンジンは、当時の4気筒としては大排気量のスペック、アンダースクエアとなる87.3 mmボアと111.1 mm のストロークが特徴である。オースチンは商用車分野で競合するゼネラルモーターズ(GM)傘下のボクスホール製ベドフォードトラックにパワーで対抗するため、1930年代後期にGM製シボレー直列6気筒OHVを参考にした大型6気筒エンジンを開発したが、A90・ヒーリー100に積まれた4気筒はその派生型であった。

足回りは、ガーリング11インチ(279.4 mm)ドラムブレーキが4輪に装着され、フロントサスペンションコイルスプリングを使った独立懸架、リアは半楕円リーフスプリングリジッドアクスルを採用。ステアリングカムレバー式である。

生産1953年10月に始まり、1955年半ばにBN2モデルへ変わった。BN1とBN2との違いは、僅かに大きなフロントホイールアーチ、リアアクスル、BN1にはオプションで2トーン塗装があったことである。100で選べた色には、リノレッド、スプルースグリーン、ヒーリーブルー、フロリダグリーン、オールドイングリッシュホワイト、プリムローズイエロー、黒、そして限定のガンメタルグレーがあった。

1953年、ドナルド・ヒーリー モーターカンパニーはワークス体制で2台の100をル・マン24時間レースに出場させ、総合12位、14位を獲得した。それに合わせて110 hp(82 kW)を発揮する高性能モデルの100Mが開発され、640台限定で作られた。「M」はル・マン(Le Mans)意味する。100Mはフロントサスペンションが強化され、ボンネットには製のボンネットベルトと共に排熱用のルーバーが加えられた。エンジンは、キャブレターへのエアフローを増やすためのコールドエアボックスが、より口径の大きな1-3/4SUキャブと共に装着されている。

もう一つの限定車として、50台が市販されたアルミボディと132 hp(98 kW)エンジンを持つ100Sがある。鋳鉄シリンダーヘッドはアルミヘッドに換装され、オーバードライブユニットが外されていた。そしてダンロップ製のディスクブレーキを前後に装着している。車重を最低限にするため、バンパーあるいはフード(コンバーチブルトップ)がなく、フロントグリルは小さな物を使い、ウインドシールドスクリーンはプラスチック製の物に改められた。この100Sは、前後にスポーツディスクブレーキを備えた、世界初の市販車でもあった。軽量化の結果、重量は標準車より91 kg 軽くなっている。大多数の100Sは白に青のサイドを持つ2トーンカラーだった。しかし、少量がスプルースグリーン、リノレッドでオーダーされ、また1台のみ全て黒の100Sがある。

この他にドナルド・ヒーリー・モーターカンパニーでハンドメイドによるワークスカーが5台製作された。

これらの直列4気筒モデルは全てホイールベース90インチの2シーターである。

The Motor 誌(英語版)が1953年に行ったテストで、BN1は106 mph(171 km/h )の最高速と、0-60 mph(97 km/h)加速で11.2秒を記録。燃料消費は1英ガロンあたり22.5マイル(12.6 L / 100 km、18.7 mpg(アメリカガロン))。テスト車は込み1063ポンドであった。

100-6(BN4、BN6)

100-6
BN4
1958 オースチン・ヒーリー 100-6 スポーツ
概要
製造国 イギリス
販売期間 1956年-1959年
ボディ
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン BMC Cシリーズ 2.639L 直列6気筒
変速機 3MT(BN1) / 4MT(BN2)
車両寸法
ホイールベース 2,337mm
全長 4,000mm
全幅 1,524mm
全高 1,270mm
その他
生産台数 14,436台
系譜
後継 オースチン・ヒーリー 3000
テンプレートを表示

100-6は100の名が冠された最後のモデルで、1956年のBN4(2+2)と1958年のBN6(2シーター)からなる。後席のスペース確保のため、ホイールベースは2インチ(50.8mm)拡大された。ボンネットにはビルドインエアスクープが設けられ、ウインドシールドスクリーンはそれまで可倒(後傾)式だったものが固定式となった。かつてオースチン・ウエストミンスターに搭載されていたBMC・Cシリーズエンジン(英語版)チューニングして搭載し、当初は102bhp(76kW)を発揮した。1957年にマニホールドシリンダーヘッドに改良が加えられて117bhp(87kW)へと最高出力が引き上げられた。オーバードライブユニットは標準装備からオプション装備となった。1957年後半に生産工場がロングブリッジからアビンドンにあるMGの工場へと移されている。

117bhp仕様のBN6が The Motor 誌により1959年にテストされ、最高速度103.9mph(167.2km/h)、0-60mph(97km/h)加速10.7秒を記録。燃料消費は1英ガロンあたり20.8マイル(13.6L/100km、17.3mpg(アメリカガロン))を計測した。テスト車の価格は税436ポンドを含む1307ポンドであった。

脚注

  1. ^ 「カニ目」ことオースチン・ヒーリー(ヒーレー)・スプライトの誕生で区別が必要となった。
  2. ^ 2006年からロンドンで開催されている英国国際モーターショーとは異なる。

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