60代以降とは? わかりやすく解説

60代以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 01:32 UTC 版)

三浦雄一郎」の記事における「60代以降」の解説

1992年4月からクラーク記念国際高等学校北海道深川市納内校長2006年6月からNPOグローバル・スポーツ・アライアンス理事長務める。 1995年4月友人である平成維新の会代表・大前研一月刊誌文藝春秋』(3月号)上で発表した新・薩長連合結成宣言知事連盟構想呼応して新人対決1995年北海道知事選挙出馬した新進党推薦の前副知事堀達也自民党推薦伊東秀子争い埋没し得票率7パーセント弱で供託金没収の大惨敗大前1995年東京都知事選挙立候補)。同年7月第17回参議院議員通常選挙には、同じく平成維新の会公認候補比例代表制名簿2位)として出馬している(いずれも落選)。 七大陸最高峰滑降後に目標失い不摂生な生活を送った挙句身長164 cm対し体重85 kg超、血圧200近くまで上がり不整脈まで出る不健康な態となってしまう。しかし、99歳にしてなおモンブラン氷河滑降という挑戦続け実父や、オリンピックに出場した次男の豪太らを見て改心65歳時に5年後70歳エベレスト登頂を果たすという目標立て外出時には常に両足重り付け20 kg近いリュックを常に背負うというトレーニング再開当初藻岩山登山ですら息切れするという体たらくだった体力回復させ、2003年5月22日世界最高峰エベレスト世界最高齢ギネスブック掲載)となる70歳7か月での登頂を果たす。同時に二男・豪太との日本人初の親子同時登頂達成した2005年6月全国森林レクリエーション協会会長就任2006年9月日本経済新聞に「私の履歴書」を連載する2008年5月26日75歳エベレストに再登頂。その前日ネパールのシェルチャンが76歳で登頂していたため、最高齢記録更新にはならなかった。 2009年2月札幌市内スキー場コース内に作成されバンクから飛び出し骨盤骨折手術後リハビリ励み回復した2010年、オーストリア・アルベルト・シュバイツァー協会よりアルベルト・シュバイツァー章を受章2013年5月23日80歳で3度目エベレスト登頂成功した。再びエベレスト最高齢登頂者となる。下山中体調崩し標高6500mのキャンプ2から標高5300mのベースキャンプまではヘリコプター使って下山した。この登頂成功が、三浦アワード創設きっかけとなった同年顕著な実績挙げたとして第8回日本スポーツグランプリ受賞2018年第1回ネパール社会貢献表彰贈られる2019年1月86歳でアコンカグア登頂目指すベースキャンプから5580mまでヘリコプター飛び、6000mまで酸素ボンベ使って登るが、体調不良により断念しヘリコプター下山した。 2019年2月北海道民放5局とNHK札幌放送局による共同キャンペーンOne Hokkaido Project』のキャンペーンソング参加2022年 3月31日付でクラーク記念国際高等学校校長退任し4月1日付で名誉校長就任した

※この「60代以降」の解説は、「三浦雄一郎」の解説の一部です。
「60代以降」を含む「三浦雄一郎」の記事については、「三浦雄一郎」の概要を参照ください。

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