1980年代 - 2007年
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「モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ」の記事における「1980年代 - 2007年」の解説
1970年代初頭には各メーカー毎に358立方インチ(5.8L)から429立方インチ(7.0L)まで様々な排気量のV8エンジンが混在していたが、競争力の均衡化の為リストリクタープレートが導入された。1973年の石油危機と1970年代中盤の自動車排出ガス規制は、カップ・カーのベースとなる市販車両とV8エンジンの製造に大きな悪影響を及ぼした。これらの影響が尾を引いた1980年代以降は、アメリカ車のダウンサイジングが進み、それまでのレギュレーションで定められたホイールベースを満たせる市販車が大幅に減少した。NASCARもホイールベースを最低値を短くする事でこれに対処したが、各メーカーはNASCAR参戦の為のみに、一部の市販車両のホイールベースをレギュレーションで定められた最低値に合わせざるを得なくなり、その結果として市販車両の外観に明らかにカップ・カーのの影響を受けた車体サイズやボディ形状を持つものが現れる事となった。しかし、それが当時の市場が求める大多数の要望を満たす物とは限らず、結果として不人気車となるものも存在した。 それでも市販車両の空力性能改善は進んでいき、1987年にはカップ・カーの平均周回速度は時速210マイル(約340km/h)に達したが、同年のタラデガ戦(英語版)にてボビー・アリソン(英語版)が観客5名に負傷者を出す大事故を起こし、デイトナやタラデガなどの一部のスーパースピードウェイではリストリクタープレートの装着が全車義務付けとなった。その後、1993年のタラデガ戦でもニール・ボンネット(英語版)が1987年のアリソンと類似した大クラッシュ(ビッグ・ワン(英語版))を起こし、車体がスピンして後ろを向いた際の浮上(エアボーン・クラッシュ)を防ぐルーフフラップの装着が全車義務付けとなった。 1980年代後半から1990年代に掛けて、アメリカ車の多くがV型6気筒と前輪駆動へ移行し、車種によっては2ドアボディを持たないものも現れ始めていたが、NASCARは依然として2ドアボディとV型8気筒の後輪駆動を維持した為、各自動車メーカーは実際の市販車両とは全く異なるエンジンと駆動方式、ドア枚数でカップ・カーを製造せざるを得なくなり、ストックカーとしての意義が次第に薄れていくようにもなっていった。この時期までにビュイックやオールズモビル、マーキュリーなどビッグスリー内の比較的販売が低迷していたディビジョンの中には、カップ・カーの製造から撤退するところも現れ始めた。 2000年代に入るとNASCARに参戦できる車体寸法を持つ市販車両は、各メーカーがカップ・カーと直接関連付けて販売する一部のスポーツモデルのみに限定されるようになり、カップ・カーと市販車両との関連性はボンネット、ルーフ、トランクリッドの形状を同一にする他は、外見上は車両前後のランプ類を模したデカール類のみでその類似性を判断できる程度となっていった。この時期のNASCARは特定の車両の競争力が高まるとその都度レギュレーションを小変更する対応に追われており、度々各メーカーから抗議が発生する事態となっていた。2001年にはデイル・アーンハートの死亡事故(英語版)が発生、HANSデバイスの装着が義務付けとなった。2003年にはフォード・トーラスが極端な左右非対称ボディ(オフセット・カー)を使用していた事が発覚、アプローブド・ボディ・コンフィグレーション(ABC)と呼ばれるボディの左右対称性を認証する新基準が導入される事となった。
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1980年代 - 2007年
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「NASCARカップ・シリーズ」の記事における「1980年代 - 2007年」の解説
1970年代初頭には各メーカー毎に358立方インチ(5.8L)から429立方インチ(7.0L)まで様々な排気量のV8エンジンが混在していたが、競争力の均衡化の為リストリクタープレートが導入された。1973年の石油危機と1970年代中盤の自動車排出ガス規制は、カップ・カーのベースとなる市販車両とV8エンジンの製造に大きな悪影響を及ぼした。これらの影響が尾を引いた1980年代以降は、アメリカ車のダウンサイジングが進み、それまでのレギュレーションで定められたホイールベースを満たせる市販車が大幅に減少した。NASCARもホイールベースを最低値を短くする事でこれに対処したが、各メーカーはNASCAR参戦の為のみに、一部の市販車両のホイールベースをレギュレーションで定められた最低値に合わせざるを得なくなり、その結果として市販車両の外観に明らかにカップ・カーのの影響を受けた車体サイズやボディ形状を持つものが現れる事となった。しかし、それが当時の市場が求める大多数の要望を満たす物とは限らず、結果として不人気車となるものも存在した。 それでも市販車両の空力性能改善は進んでいき、1987年にはカップ・カーの平均周回速度は時速210マイル(約340km/h)に達したが、同年のタラデガ戦(英語版)にてボビー・アリソン(英語版)が観客5名に負傷者を出す大事故を起こし、デイトナやタラデガなどの一部のスーパースピードウェイではリストリクタープレートの装着が全車義務付けとなった。その後、1993年のタラデガ戦でもニール・ボンネット(英語版)が1987年のアリソンと類似した大クラッシュ(ビッグ・ワン(英語版))を起こし、車体がスピンして後ろを向いた際の浮上(エアボーン・クラッシュ)を防ぐルーフフラップの装着が全車義務付けとなった。 1980年代後半から1990年代に掛けて、アメリカ車の多くがV型6気筒と前輪駆動へ移行し、車種によっては2ドアボディを持たないものも現れ始めていたが、NASCARは依然として2ドアボディとV型8気筒の後輪駆動を維持した為、各自動車メーカーは実際の市販車両とは全く異なるエンジンと駆動方式、ドア枚数でカップ・カーを製造せざるを得なくなり、ストックカーとしての意義が次第に薄れていくようにもなっていった。この時期までにビュイックやオールズモビル、マーキュリーなどビッグスリー内の比較的販売が低迷していたディビジョンの中には、カップ・カーの製造から撤退するところも現れ始めた。 2000年代に入るとNASCARに参戦できる車体寸法を持つ市販車両は、各メーカーがカップ・カーと直接関連付けて販売する一部のスポーツモデルのみに限定されるようになり、カップ・カーと市販車両との関連性はボンネット、ルーフ、トランクリッドの形状を同一にする他は、外見上は車両前後のランプ類を模したデカール類のみでその類似性を判断できる程度となっていった。この時期のNASCARは特定の車両の競争力が高まるとその都度レギュレーションを小変更する対応に追われており、度々各メーカーから抗議が発生する事態となっていた。2001年にはデイル・アーンハートの死亡事故(英語版)が発生、HANSデバイスの装着が義務付けとなった。2003年にはフォード・トーラスが極端な左右非対称ボディ(オフセット・カー)を使用していた事が発覚、アプローブド・ボディ・コンフィグレーション(ABC)と呼ばれるボディの左右対称性を認証する新基準が導入される事となった。
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