1980年代 「せめぎあい」とは? わかりやすく解説

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1980年代 「せめぎあい」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 14:26 UTC 版)

ヘアヌード」の記事における「1980年代 「せめぎあい」」の解説

1980年代に入ると状況転じ始め表現者の側のヘア表現優勢になっていく。 1981年3月19日、『週刊新潮 3月26日号』において、ストリーキング女性無修正ヘアヌード写真掲載された。それまでビニ本など小規模流通雑誌異な大手週刊誌による掲載は初で、ワイドショーでも取り上げられたこの号は即完売となるも、警察の対応は厳重注意とどまった。 しかし、同年一方でたこ八郎出演していた、陰毛丸出しの『写GIRL』『歌磨呂』が通信販売出回るものの摘発1983年2月には国会で少女雑誌での露骨な性交記事問題視されたあおりで、『ギャルズライフ』が廃刊になるなど厳し規制続いたその様な中で、末井昭編集雑誌写真時代』(白夜書房1981年-1988年)では荒木経惟らによるヌード掲載していたが、これには時々陰毛写っている事があり、またロバート・メイプルソープ写真集Lady リサ・ライオン」(宝島社1984年)や「ブルータス」誌(マガジンハウス)の特集「裸の絶対温度」(1985年 - )にも陰毛写った写真掲載され写真家出版社芸術としての写真表現主張し何を持ってわいせつ」と判断するかは論争となっていた。 そうした芸術表現としてのヘア容認求める声が高まる中、1985年東京国際映画祭において、芸術表現としての特例で『1984』などで無修正ヘア映像上映されるこの年堰を切ったように『福娘』『ニューヌード』『ペントハウス』『ブルータス』『エンマ』などで相次いでヘアヌード掲載されるも、その内ペントハウス摘発され全面解禁とは至らなかった。同年6月篠山紀信はその状況抗議するかのように四谷シモン写真集』で人形陰毛生やした表現を行うなど挑戦的姿勢取っている。また、少年漫画においても『少年チャンピオン連載の『ぼくはウィリー!』(立原あゆみ作)で陰毛描写されるなど、ヘア表現なし崩し的にその陣地拡大していった。

※この「1980年代 「せめぎあい」」の解説は、「ヘアヌード」の解説の一部です。
「1980年代 「せめぎあい」」を含む「ヘアヌード」の記事については、「ヘアヌード」の概要を参照ください。

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