1946年から1982年
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「ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート」の記事における「1946年から1982年」の解説
1951年に、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・コーポレーション (White Pass and Yukon Corporation Ltd.) という新しい持ち株会社が設立され、清算されることになったホワイト・パス・アンド・ユーコン・カンパニー (White Pass and Yukon Company, Ltd.) から、このルートを構成する3つの鉄道会社を買収した。鉄道は財務的に再構築された。他の多くの北アメリカの狭軌の鉄道がこの時期に廃止されていったのに対して、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートは営業を続行した。 北アメリカにおけるいくつかの狭軌の鉄道と同様に、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートも1950年代半ばから末にかけてディーゼル化した。チョウザメ形のディーゼル機関車をゼネラルエレクトリックから購入し、後にロード・スイッチャーをアルコやモントリオール・ロコモティブ・ワークスから購入し、さらに小さなスイッチャーも何両か購入した。 この鉄道はインターモーダル貨物輸送の初期のパイオニアで、いわゆるコンテナ輸送を早期に開始し、当時は「コンテナルート」の名前で宣伝した。ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートは1955年に建造されたクリフォード・J・ロジャーズ (Clifford J. Rogers) という初期のコンテナ船を所有し、1956年にコンテナを導入したが、この頃アメリカ合衆国で使用されるようになったトラック用コンテナよりはるかに小さいものであり、このコンテナを他の鉄道や航路で使用することはできなかった。 ファロ (Faro) の鉛・亜鉛鉱山は1969年に採掘を開始した。鉄道は、7両の新しい1,200 馬力機関車をアルコから導入し、さらに新しい貨車、鉱石貯蔵施設、ホワイトホースでトラックと鉄道の間での積み替えを行うストラドルキャリア、スカグウェイの新しい鉱石岸壁、線形を改良する一連の土木工事などを導入・実施して輸送力を増強した。1969年の秋にはデッドホース峡谷 (Dead Horse Gulch) を迂回する新しいトンネルと橋が建設され、重い列車を通せない高い鋼鉄製のカンチレバー橋を置き換えた。こうした膨大な投資により、会社はますます鉱石輸送の収入に頼るようになり、鉱石輸送が途絶えると会社が傾いてしまうことになりかねない状態となった。 それだけではなく、アラスカの内海航路 (Inside Passage) を訪れるクルーズ客船が増加したため、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートの旅客輸送も増加した。1978年までは、スカグウェイからホワイトホースへは道路が存在しなかった。道路が開通した後も、鉱山からの鉱石輸送により鉄道は存続した。 この頃、緑と黄を基調に前面に稲妻の描かれた機関車の塗装が始まり、それまでの青を基調に白と黒の模様をつけた塗装を置き換えた。緑と黄の塗装は稲妻とともに1990年代初期に復元された。2005年現在、1両のみ青の塗装パターンである。蒸気機関車はしかしながら、基本の黒のままである。 1982年に金属価格が下落し、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートの主な顧客であった鉱山に壊滅的な影響を与えた。ファロの鉛・亜鉛鉱山を含め多くの鉱山が閉山となり、輸送需要が途絶えてホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートの商業鉄道としての運命はほぼ閉ざされてしまった。輸送の再開を期待して数ヶ月にわたって膨大な損失を計上しながら旅客輸送のみを続けたが、最終的に1982年10月7日に鉄道は廃止となった。 1982年4月1日に発行されたノースウェステル(Northwestel、カナダの電話会社)の電話帳には、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートから提供された、同社の98号機関車が牽引する列車がベネット付近を南へ向かって走る様子の写真が、表紙から裏表紙まで1枚もので使われている。皮肉なことに、この電話帳が使われている期間の半分以上にわたって、この列車はもう走っていなかった。 この鉄道のアルコ製ディーゼル機関車のうち何両かは、コロンビアの鉄道に売却された。またアルコのライセンスでモントリオール・ロコモティブ・ワークスが生産し保管していたより新しいディーゼル機関車は、4両中3両がカリフォルニア州プラスター・シティ (Plaster City) のUS石膏社 (USG Corporation) に売却され、残りの1両はそのまま朽ち果てた。この近代的な狭軌のディーゼル機関車は、北アメリカの鉄道向けに最後に製造された狭軌のディーゼル機関車であったが、そのうち1両のみがホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートに納入された。コロンビアに売却された5両のディーゼル機関車は、重すぎたため現地で使用されることはなく、1999年に買い戻された。1両は、海上輸送中に嵐によって拘束が外れてしまい、艀の端へ向かって転がりだしてしまって、危うく海没してしまうところであった。 この鉄道は、1983年に英国放送協会 (BBC) のテレビシリーズ「グレート・リトル・レールウェイ」(Great Little Railway) において、初回のテーマとなっている。
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