1946年から1982年とは? わかりやすく解説

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1946年から1982年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/10 16:02 UTC 版)

ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート」の記事における「1946年から1982年」の解説

1951年に、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・コーポレーション (White Pass and Yukon Corporation Ltd.) という新し持ち株会社設立され清算されることになったホワイト・パス・アンド・ユーコン・カンパニー (White Pass and Yukon Company, Ltd.) から、このルート構成する3つの鉄道会社買収した鉄道財務的再構築された。他の多く北アメリカ狭軌鉄道がこの時期廃止されていったに対してホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート営業続行した北アメリカにおけるいくつかの狭軌鉄道同様にホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート1950年代半ばから末にかけてディーゼル化した。チョウザメ形のディーゼル機関車ゼネラルエレクトリックから購入し、後にロード・スイッチャーアルコモントリオール・ロコモティブ・ワークスから購入し、さらに小さなスイッチャーも何両か購入した。 この鉄道インターモーダル貨物輸送初期パイオニアで、いわゆるコンテナ輸送早期開始し当時は「コンテナルート」の名前で宣伝したホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート1955年建造されクリフォード・J・ロジャーズ (Clifford J. Rogers) という初期コンテナ船所有し1956年コンテナ導入したが、この頃アメリカ合衆国使用されるようになったトラック用コンテナよりはるかに小さいものであり、このコンテナを他の鉄道航路使用することはできなかった。 ファロ (Faro) の鉛・亜鉛鉱山1969年採掘開始した鉄道は、7両の新しい1,200 馬力機関車アルコから導入し、さらに新し貨車鉱石貯蔵施設ホワイトホーストラック鉄道の間での積み替えを行うストラドルキャリア、スカグウェイの新し鉱石岸壁線形改良する一連の土木工事などを導入実施して輸送力増強した1969年秋にはデッドホース峡谷 (Dead Horse Gulch) を迂回する新しトンネル建設され、重い列車を通せない高い鋼鉄製のカンチレバー橋置き換えたこうした膨大な投資により、会社はますます鉱石輸送収入に頼るようになり、鉱石輸送途絶える会社が傾いてしまうことになりかねない態となった。 それだけではなくアラスカ内海航路 (Inside Passage) を訪れクルーズ客船増加したため、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート旅客輸送増加した1978年までは、スカグウェイからホワイトホースへは道路存在しなかった。道路開通した後も、鉱山からの鉱石輸送により鉄道存続した。 この頃、緑と黄を基調前面稲妻描かれ機関車塗装始まりそれまでの青を基調白と黒模様をつけた塗装置き換えた。緑と黄の塗装稲妻とともに1990年代初期復元された。2005年現在、1両のみ青の塗装パターンである。蒸気機関車はしかしながら、基本の黒のままである1982年金属価格下落しホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート主な顧客であった鉱山壊滅的な影響与えたファロの鉛・亜鉛鉱山含め多く鉱山閉山となり、輸送需要途絶えてホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート商業鉄道としての運命はほぼ閉ざされてしまった。輸送再開期待して数ヶ月わたって膨大な損失計上しながら旅客輸送のみを続けたが、最終的に1982年10月7日鉄道廃止となった1982年4月1日発行されたノースウェステル(Northwestel、カナダ電話会社)の電話帳には、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートから提供された、同社98号機関車牽引する列車ベネット付近南へ向かって走る様子写真が、表紙から裏表紙まで1枚もの使われている。皮肉なことに、この電話帳使われている期間の半分以上わたって、この列車はもう走っていなかった。 この鉄道アルコディーゼル機関車のうち何両かは、コロンビアの鉄道売却された。またアルコライセンスモントリオール・ロコモティブ・ワークス生産し保管していたより新しディーゼル機関車は、4両中3両がカリフォルニア州プラスター・シティ (Plaster City) のUS石膏社 (USG Corporation) に売却され残りの1両はそのまま朽ち果てた。この近代的な狭軌ディーゼル機関車は、北アメリカ鉄道向けに最後に製造され狭軌ディーゼル機関車であったが、そのうち1両のみがホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート納入された。コロンビア売却された5両のディーゼル機関車は、重すぎたため現地使用されることはなく、1999年買い戻された。1両は、海上輸送中に嵐によって拘束外れてしまい、艀の端へ向かって転がりだしてしまって危うく没してしまうところであった。 この鉄道は、1983年英国放送協会 (BBC) のテレビシリーズ「グレート・リトル・レールウェイ」(Great Little Railway) において、初回テーマとなっている。

※この「1946年から1982年」の解説は、「ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート」の解説の一部です。
「1946年から1982年」を含む「ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート」の記事については、「ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート」の概要を参照ください。

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