1946年から1963年まで:海峡植民地の終わり:植民地・自治州としてのシンガポール
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イギリスの軍政を終了させたのは1946年3月18日付けの布告第77号(1946年)(Proclamation No. 77 (1946))であり、これは同年4月1日に施行された。海峡植民地は1946年海峡植民地(廃止)法(Straits Settlements (Repeal) Act 1946)によって解散された。1946年シンガポール植民地枢密院勅令(Singapore Colony Order in Council 1946)。シンガポールは1887年イギリス植民地法に基づく新たな植民地として構成された。シンガポール立法評議会(Singapore Legislative Council)が創設され、当該植民地の平和、秩序およびよき統治のために立法を行う権限が与えられた。海峡植民地の高等法院(High Court)および控訴院(Court of Appeal)は、シンガポール植民地(Colony of Singapore)の高等法院および控訴院となった。 1958年に、シンガポールは内部自治を認められ、シンガポール自治州(State of Singapore)となった。この変化は、1958年シンガポール(憲法)枢密院勅令(Singapore (Constitution) Order in Council 1958)によるもので、これは1958年シンガポール自治州法(State of Singapore Act 1958)の委任によるものであった。立法評議会(Legislative Council)は立法議会(Legislative Assembly)に改組され、主として被選挙議員によって構成されることとなった。 この時代には、裁判所の基本的な構成は、依然として戦前の植民地時代とほとんど同じままであった。唯一のわずかな変化として、1955年に警察裁判所(Police Court)が再び治安判事裁判所(Magistrates' Court)とされた。
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