1946年から1956年
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「ソビエト連邦の国章」の記事における「1946年から1956年」の解説
第二次世界大戦の初期、独ソ戦(「大祖国戦争」)が始まる前の1940年、ソビエト連邦は独ソ不可侵条約、ポーランド侵攻、バルト諸国占領、ベッサラビア進駐などを通じて西に大きく領土を広げており、連邦構成共和国は16カ国に増えた。しかし国章がこの変化を反映したのは戦後の1946年になってからである。 ソビエト連邦最高会議幹部会の決定による1946年6月26日の決定では、全16カ国の構成共和国が国章の中に象徴されることとなった。「万国の労働者、団結せよ!」は、新たにエストニア語、ラトビア語、リトアニア語、モルドバ語、フィンランド語を加えた16の言語で書かれることになった。また、アゼルバイジャン語、トルクメン語、ウズベク語、タジク語、カザフ語、キルギス語の文言はラテン文字からキリル文字への切り替えに伴い、新たに書き直された。
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