バルセロナ万国博覧会 (1929年)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/11 09:09 UTC 版)

1929年のバルセロナ万国博覧会(バルセロナばんこくはくらんかい, Exposicion International de Barcelona, Expo 1929)は、1929年5月20日から1930年1月15日まで開催された国際博覧会である。
会場はモンジュイックの丘である(後に1992年のバルセロナオリンピックのメイン会場ともなった)。「産業、芸術、スポーツ」をテーマに掲げ、29カ国が参加。580万人が来場した。
施設
会場整備の総指揮者には政治家でもあった建築家ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadafalch)[1]が選ばれた。スペイン(エスパーニャ)広場を起点とする軸線の両側に15の展示館、競技場、スペイン村などの施設が建てられた。当時はアール・ヌーヴォー(カタルニア・モデルニスモ)が衰え、国際的なモダニズム建築が台頭し始めた時期であるが、主要な施設は古典主義様式により建設された。建築史上に残るのはミース・ファン・デル・ローエの設計したドイツ館で、石・ガラス・鉄・水面で構成されたモダニズムの空間造形となった(バルセロナ・パビリオン)。
現状
会場跡は今も博覧会当時の様子をよく伝えている[2]。
- 政府館(国民宮殿) - 博覧会のメイン施設で、現在はカタルーニャ美術館。
- スペイン広場周辺の展示館 - 現在は見本市会場。
- 競技場 - 正面部分は当時のままであるが、5万人規模のスタジアムに改装され、1992年のオリンピックにも使用された。
- 美術展示場 - 現在はカタルーニャ考古学博物館。
- スペイン村 - 国内各地の名建築を再現した建築博物館。(en)
- ドイツ館 - 1986年、同じ場所に再現され、ミースの記念館になっている。
注釈
関連項目
外部リンク
「1929 Barcelona International Exposition」の例文・使い方・用例・文例
- その野性的な投機心は、1929年にピークに達した
- 協定は、1929年にバチカン市が最高の、そして、独立しているローマ教皇の状態であると認めたイタリアと教皇庁でLateranパレスをサインインしました
- 1929年に、ノルウェー語のこの方言は、ブークモールと公式に名前を変えられた
- パレスチナ人の政治家で、パレスチナ解放機構の議長であった(1929年−2004年)
- 英国の走者で、1954年に1マイルを4分以内で初めて走った(1929年生まれ)
- フランスの政治家で、ベルサイユの条約を協議において重要な役割を果たした(1841年−1929年)
- ロシアのバレエ興行主で、ロシアバレエの基礎を築き、後にそれを西洋に紹介した(1872年−1929年)
- 米国の漫画家で、風刺連続漫画を作成した(1929年生まれ)
- 米国の物理学者で、素粒子の研究で知られる(1929年生まれ)
- 米国の建築家で、ジョン・マーベン・カレールと共に重要な建築事務所を形成した(1860年−1929年)
- ドイツの詩人で、リヒャルト・シュトラウスによるオペラのための台本を書いた(1874年−1929年)
- 米国の発明者で、英数字の情報をパンチカードに記録するためのシステムを発明した(1860年−1929年)
- アムステルダムで世界初の避妊診療所を開いたオランダ人の医者(1854年−1929年)
- 黒人の人種差別に抗議する運動を行った米国のカリスマ的な市民権リーダーでありバプティスト派の牧師(1929年−1968年)
- 英国の女優で、後にエドワード7世となった王子の情婦(1853年−1929年)
- ドイツの物理学者(1929年生まれ)
- エジプトの政治家で、サダトが暗殺された後、1981年に大統領になった(1929年生まれ)
- 英国の脚本家(1929年−1994年)
- 合衆国のゴルファー(1929年生まれ)
- 米国のオペラのソプラノ(1929年生まれ)
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