10月: モースルへの進軍
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「モースルの戦い」の記事における「10月: モースルへの進軍」の解説
10月16-17日 2016年10月16日、イラク首相ハイダル・アル=アバーディはモースル市を奪還するための戦闘の開始を宣言した。クルディスタン地域政府の大統領マスード・バルザニは、初日に行われた戦闘の結果、ペシュメルガとイラク政府軍がISILから200km2の地域を奪還したと述べた。「自由の橋」として知られるモースル市内の橋が破壊され、ペシュメルガ系の情報筋はISILが橋を破壊したと発表したが、一方のISILは「自由の橋」が対ISIL連合の空爆によって破壊されたと主張した。 10月18日 ペシュメルガが進撃する東側の戦線ではISILの抵抗は軽微である一方、南側の戦線ではイラク軍とシーア派民兵組織(PMF)が激しい抵抗に遭遇していると報告された。 10月19日 イラク軍がモースル市街から6km以内の地点まで進撃したと報告された。ニーナワー県のハマディ知事は、すでにニーナワー県の40%の地域がISILから奪還されたと宣言した。 10月20日 20日の戦闘は作戦開始以来最も激しいものとなった。イラク特殊作戦部隊(黄金師団)の大規模部隊が、ペシュメルガによって奪還された各拠点に到着し、モースル東方の町バルテラ(英語版)を制圧した。バルテラでの戦闘において、ISILは爆弾を満載した9台のトラックを起爆させた。イラク軍のアル=サーディ少将によれば、バルテラでの戦闘では約200人のISIL戦闘員が殺害された。 ペシュメルガに同行していたアメリカ軍の爆発物処理専門家が、ISILが道端に仕掛けた爆弾によって殺害され、最初のアメリカ人の戦死者となった。ISILはさらに、アル=ミシュラク(英語版)硫黄化学工場に放火を行い、発生した硫黄の蒸気を吸い込んだことにより2人が死亡、約1000人が入院を強いられることとなった。 10月21日 21日、対ISIL連合の戦力を分散させることを狙い、ISILはキルクークへの攻撃を開始した。キルクーク市内で多数の爆発や銃撃戦が報告され、発電所への自爆攻撃の結果13人の作業員が殺害された。ペシュメルガの指揮官によれば、ISIL戦闘員は国内避難民に偽装して市内に侵入していた。一方、イラク政府軍はモースル南方の2つの村を制圧し、15人のISIL戦闘員を殺害したと発表した。 10月24日 10月24日時点での報告によれば、これまでの戦闘で約800人のISIL戦闘員が殺害され、78の村々がISILから奪還されていた。ISILによるキルクークへの攻撃も24日までに鎮圧されており、74人のISIL戦闘員が死亡、攻撃の指揮官は逮捕される結果となった。 10月28日 ペシュメルガとイラク軍はモースルから4kmの距離にある町ファディリヤを制圧した。他方、国際連合は声明を発表し、ISILが人間の盾として利用するために数万人の市民を連行しており、それを拒否したものは処刑されたと述べた。 10月29日 シーア派民兵組織「人民動員隊」(略称:PMF)は29日に声明を発表し、モースルの西方でISILに対する新たな攻勢を開始したと述べた。この攻勢の目標は、モースル西方の村々を制圧し、タル・アファルまで到達することで、ISIL戦闘員がモースルからシリアへ撤退する経路を遮断し、同時にISILの援軍がモースルに向かうことを阻止することにあった。PMFは約14,000 km2の地域をISILから奪還する任務を負うこととなった。一方でPMFは、PMFの軍勢がモースルに入ることはないと明言した。 10月31日 31日、イラク政府軍はモースル東方の町バズワイアに対して大規模な攻勢を仕掛けた。ISIL側の抵抗は激しかったものの、イラク特殊作戦部隊はバズワイアを近隣の村々とともに奪還した。バズワイアを制圧したことで、イラク特殊作戦部隊はモースル市街から1.6 km以内の地点まで迫った。 複数のイラク軍当局者が、まもなくイラク特殊作戦部隊がモースル市街への進攻を開始すると述べた。他方、イラク首相アル=アバーディはモースルを防衛するISIL戦闘員に対し、降伏することを呼びかけた。
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