韓国社会の冷遇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 02:04 UTC 版)
「密陽女子中学生集団性暴行事件」の記事における「韓国社会の冷遇」の解説
密陽市と蔚山広域市の学校、警察、地域社会から卑下され続けた被害者は、ソウル特別市でも学校と社会から冷遇を受けた末に家出していたことが判明した。が、加害者である男子達は特に刑罰を受けず、また前科も付くことなく、ほとんど全員が普通に生活していた。MBCテレビは2007年6月16日の番組でこの現実を放送した。 2005年3月に、ソウル特別市で精神科治療を受けて続けていた彼女を訪ねて、父親と加害者の両親が金で和解を求めて合意書の承諾を要求してきた。加害者の両親が毎日、朝晩やってきて合意書にサインを要求し、彼女の親戚からも書いてやれと言われ続け、彼女は「合意する考えはなかったが、おばや父に合意しなさいと言われた。加害者は憎かったが貧しさから逃れたくて合意した。加害者を許したはずなのに後からあざ笑われたようで、開いた口がふさがらなかった。加害者の親も急に態度が変わった。時間を戻せるなら合意なんか絶対にしない」と述べたという。 彼女の父親は賠償金5000万ウォンを受け取って蔚山広域市内に1500万ウォンで家を借り、残金は彼女に合意を勧めた親戚達と山分けしたという。担当医師である延世大学校シン・ウィジン教授は「彼女は“世の中に利用された”“保護してくれなかった”と社会に対する怒りをあらわにしていた。退院する時も、彼女の父親はアルコール中毒がひどかったが、保護者の親権があるため、いくら保護が必要だと言っても退院を止めることはできなかった」と説明している。 蔚山市でいられなくなった被害者は、転校を要請しても受け入れる学校がなかったため、弁護士の力を借りてソウル特別市内の高校に転校した。ところが、転校後1カ月足らずで少年院に収容された加害者の母親が訪れて「息子の少年院での処罰を減刑するために嘆願書を書いてほしい」などとトイレにまで執拗に付きまとわれた。 彼女は転校先で集団暴行事件の被害者という事実を知られてしまい、またしても心的外傷を受けてしまった。彼女はひどいうつ病が再発し、嘔吐するまで食べ続ける摂食障害症状をも伴い、誰に知られることなく家出してしまったと母親が打ち明けた。 一方、加害者らの処分は、蔚山地検が少年ら20人を処罰の対象とし、青少年育成の見地からうち10人を少年部に送致して事実上前科が科せられないよう便宜を図った。検察が起訴した10人も釜山地方家庭裁判所少年部に送致されていた。最終的に5人が保護処分を受けて少年院に収容され、残る全員は処罰を受けることなく釈放されていた。学校側の処罰は1校の7人が3日間の校内奉仕活動を科せられた。結局、加害者である学生らは1人も刑罰を受けず、前科も付かないまま社会に出ているという。 MBCテレビのスタッフは「性的暴行の加害者は何の変わりもなく普段の社会生活を送り、被害を受けた女性だけがまた別の被害を受けるケースが多い。韓国は性犯罪を犯しても堂々と生きていける国であり、密陽での女子中学生に対する性暴行事件の結末をみると、性犯罪者の天国という言葉を実感する」と語っている。
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