電磁気の研究
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1881年に行われたマイケルソンの実験(1887年のマイケルソン・モーレーの実験の前身)でエーテルの存在が否定されたのをうけて、ヘルツは電磁波の伝播をする機構を見つけるためにマクスウェルの方程式の再計算を行った。1886年、ヘルツは接地されない端子群から成る「ヘルツアンテナ」受信装置を開発している。また、極超短波送信用のダイポールアンテナも開発した。それらのアンテナは理論的観点から言えば最も単純な実用的アンテナである。 1887年、電磁波の発信と受信の実験を行い、アナーレン・デア・フィジーク という学術誌に発表した。発信装置は誘導コイルとアンテナを組み合わせたもので、受信装置はスパークギャップのあるコイルであり、電磁波を受信すると火花放電が観測できる。火花をより観察しやすいように、ヘルツは暗くした箱の中に装置を置いた。すると、箱の中では火花を観測できる発信装置と受信装置の最大距離が短くなることを発見した。また、発信装置と受信装置の間にガラス板を置くと、紫外線が吸収され、やはり火花を観測できる距離が短くなったことから、紫外線が電子を補助していると考えた。さらに紫外線を吸収しない石英ガラスでは距離が短くならないことも発見した。 ヘルツは数カ月間実験を繰り返し、その結果をまとめた。この実験を通して、マクスウェルとファラデーが予言した通り、電磁波が空間を伝播することが証明され、無線の発明の基礎となった。ただし彼はそれ以上この現象を研究することはなく、観察された現象についていかなる解釈も提示していない。 ヘルツの実験装置では、送信装置から12メートルの位置に亜鉛の反射板を置いて、定常波を形成していた。電磁波の波長は約4メートルである。その間の様々な位置に受信装置をおいて、振幅や波動の方向を観測した。そして、電磁波の速度は光速に等しいという結果を得た。電場強度や極性も測定している。 また同じ1887年、ヘルツは紫外線の照射により帯電した物体は電荷を容易に失うという光電効果(後にアインシュタインによって説明された)を発見した。これは、電磁波をより強く発信する方法を探していて、紫外線を発信装置に当てると電磁波が強くなることを見出したのが発端である。 ヘルツは様々な媒体での波動の伝播から、波面伝播形状の一種ヘルツコーンを発見した。ヘルツはまた、電磁波が様々な物体を透過し、物質によっては反射されることを発見した。 ヘルツは自分の実験の実用的価値を理解していなかった。彼は次のように述べている。 「それは何の役にも立っていない……単にマックスウェル先生が正しかったことを証明しただけの実験だ。我々の肉眼では見えない不思議な電磁波は確かに存在する。しかし、単に存在するだけだ」 その発見の今後について聞かれると、ヘルツは次のように答えている。 「たぶん、何もない」 彼の発見の理論付けは後世の者が行い、それが無線通信時代をもたらした。 1892年、ヘルツは陰極線が極めて薄い金属箔(アルミニウム箔など)を透過することができることを実験で示した。ヘルツの教え子だったフィリップ・レーナルトはその研究をさらに推し進め、様々な素材での透過性を調べた。
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