防災史概略と近年の主要課題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 04:45 UTC 版)
「災害」も参照 古来、防災は日常生活の一部であり、「防災」という行動が意識的に区別されることはなかったと考えられる。しかし、為政者により治水が行われるようになると役割分担が始まる。これは日本では主に江戸時代のことである。さらに、明治時代以降は治水が行政の管掌となって、専門化され技術の向上が図られるようになる。このような流れの中で、ダムや堤防などの施設(ハード)の対策が大きく進歩し、災害自体の研究も進んで理解が深まった。日本の防災はこうした技術力や研究能力はトップレベルと言われる一方で、こうした施設や研究の必要性を社会や市民が理解・納得しているかは疑問視されているほか、避難などの非施設(ソフト)対策は相対的に不十分とされる。その背景には、防災の専門化により治水をはじめとした防災が日常生活から遠ざかってしまったことが挙げられる。 日本では1950年代まで、特に1942年から1948年までの7年間は大地震や台風の来襲が多く、自然災害の死者は毎年1,000人を超える事態となっていた。戦後の復興により防災事業が再開されるものの、都市化による社会の脆弱化が進んだことで被害はなかなか減少しない状況にあった。1962年に災害対策基本法が制定されたことで行政の責任が明確化され、災害対策が進んだ。1970年代には年間500人前後に、さらに1990年代以降には年間数十人と確実に減少している。ただし、そのような中でも1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災など、時折大災害は発生し防災に多くの課題を残している。 日本では第二次世界大戦後、河川改修や耐震化などの施設(ハード)対策を通じて被害を抑止することに主眼が置かれてきた。ところが、1995年の阪神・淡路大震災でその限界が露呈したことを契機に、被害軽減や復旧を重視すべきという考え方が強まり、対策により被害を最小限に抑えることに注力する減災の考え方が登場した。2011年の東日本大震災ではこの課題が改めて認識され、復興構想会議の提言では「逃げる」こと=避難を基本とした防災教育やハザードマップ整備などの非施設(ソフト)対策の重視を謳っている。 日本の防災の主な課題に挙げられるものとして、避難のあり方、防災計画やシステムの実行力がある。避難の目安となる予報や警報の技術は向上してきている一方で、災害が起こった後に避難が低調であったことがしばしば報じられ、安全に逃げてもらうための避難情報のあり方が模索されている。また、阪神・淡路大震災後の大きな動きとして防災計画や防災マニュアル、防災情報システムがにわかに整備されたものの、実際の災害時に有効に機能させることができるかどうかが問われている。 このほか、小規模な自治体では防災に割ける人員や予算が限られ満足な対応ができない場合があるという問題、市町村や都道府県を跨いだ広域災害における連携の問題、自発的避難につながるような行政に依存しない住民自ら行う防災をどのように啓発していくかという問題 が挙げられる。
※この「防災史概略と近年の主要課題」の解説は、「防災」の解説の一部です。
「防災史概略と近年の主要課題」を含む「防災」の記事については、「防災」の概要を参照ください。
- 防災史概略と近年の主要課題のページへのリンク