関東昭和高校及び関昭野球部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 03:58 UTC 版)
「実録!関東昭和軍」の記事における「関東昭和高校及び関昭野球部」の解説
私立男子高校。学力は極めて低く、九九すらも覚えていない生徒が多くいる。 教師は戦前のような丸眼鏡をかけていたり、髭を生やしたいかつい男性教師ばかり。 野球部は東京都内では強豪で、甲子園には春夏通じて第45回選抜高等学校野球大会に一度出場している。作中で2度目のセンバツ出場を果たすが、早稲田実践や日学大三などといった一流校に比べると実力は劣る。 野球部所属の生徒は全て特待生として扱われている。特待生は入学金、授業料の免除はもちろんのこと、下宿代、食費、遠征費、道具代もタダであり、、福井兄弟やノーバのように経済状況の悪い家庭からは人気が高い。また学内でも野球部員の授業中の居眠り、サボりなどは教師達から黙認されている。 野球部員は概して先述したような野球一流校に入れなかった者である。 野球部員は入部と同時に斗魂(とうこん)寮という寮に入り、盆暮れ関係なく3年間敷地から勝手に出ること、また親、知人との連絡も許されず、そのため現代にありながら外部との連絡を断つために携帯電話の所持を禁じられ、唯一の連絡手段である手紙も内容を検閲されるなど半ば囚人同然の軟禁生活を送る。 寮では上級生の命令は絶対で「1年・蛆虫、2年・蝿、3年・神様」と言われ、上級生の身の回りの世話一切は後輩がする。共に寮で過ごす仲間として彼らは「球友」と呼ばれるが、その実情は先輩による人を人と思わないような理不尽なシゴキ、イビりが日常茶飯事で行われている。ただし、引退後の3年生は社会に出た時困らないようにするため身の回りのことを自分でしなくてはならない。 野球しかない部員にとってメンバー入りへの想いは強く、メンバー交換が許される期間中までベンチ入り選手の食事に下剤を入れる、落とし穴を仕掛け故障させるなど醜い足の引っ張り合いをする。しかし、期間が過ぎると一転して今度は、がんばって評判を上げてもらうために喜んで裏方に専念する。 そのため、3年生で最後の夏の大会にベンチ入り出来なかった部員は1日だけ夜間外出が許される。また、夏の大会敗退後も3年生は1日だけ海などへ遊びに連れて行って貰える。 上述のような過酷な環境で毎日のようにヤキを入れられながら3年間過ごすため、知性や品性はともかく上下関係の意識や礼儀は身に付くので就職組はヤクザ関係を中心に引く手数多。 目的のためには手段を選ばず、センバツ出場のために関昭OBが競合相手校へデマを流して風評被害を生じさせたり、週刊誌に(架空の)不祥事をリークして評判を落とすなどの妨害工作や、特待生制度を維持するために形だけの面接試験や、寄付金を集めるために振り込め詐欺まがいのことを行うなどしている。 校歌は「愛国行進曲」の一番の歌詞の「東海」が「東(ひんがし)」に変わったものである。
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