関東御免船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 04:17 UTC 版)
室町時代になり、安東水軍は関東御免船として活動した。和産物を蝦夷社会へ供給するとともに北方産品を大量に仕入れ全国に出荷していた(『十三往来』)。後世、郡域内の遺跡からは、和人社会から流入する鉄鍋の影響を受けた内耳土器が出土しており、これはアイヌ文化確立の過程を知るうえで貴重な遺物である。応永年間になると安東氏は「北海の夷狄動乱」を平定し、日之本将軍と称した。 また、中世の唐子は、北海道日本海側や北海岸および樺太南部に居住し、地元の産品を伴い後の和人地に相当する渡党の領域まで出向いて生活必需品などを入手していた(城下交易も参照)。15世紀末の文明17年(1485年)には、安東氏の代官武田信広に銅雀台瓦硯を献上しその配下となる(『福山秘府』)。これ以降、信広は大陸との交易路を掌握。
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