閉館後の状況
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閉館後も研究者向けの写真やマイクロフィルムなどの資料の貸し出しや公開などは続けられていたが2007年(平成19年)8月31日をもってこれらの業務も鉄道博物館とその運営母体東日本鉄道文化財団に移管し、交通博物館はすべての対外業務を終了した。 鉄道関係の展示品・収蔵品と国鉄バスや鉄道連絡船など国鉄が運営していた鉄道以外(航空・船舶・自動車)の展示品・収蔵品は、鉄道博物館へ移管された。これは、鉄道博物館がその趣旨の一つとして「国鉄改革およびJR東日本自体に関する資料を保存し調査研究を行う」と規定しているためである。 詳細は「鉄道博物館 (さいたま市)#概要」を参照 一方、国鉄が運営していたもの以外の鉄道以外の展示品・収蔵品はJO-1ジェットエンジン、ハ-45エンジン、ベンツ1号車(複製)、神風号航空機模型、フォード1型自動車模型など約50点が引き続き交通文化振興財団に運営委託されることになった交通科学博物館へ移された他、航空科学博物館など関連する博物館等へ引き取られた。 関係各所から借用していた航空・船舶・自動車部門の展示品については、原則としてそれぞれの所有者に返却された。対象となる展示品の中には戦後間もなくの進駐軍の一部である極東アメリカ軍より貸与されていた航空エンジン(プラット・アンド・ホイットニー R-1830)があったが、これに関して現在の担当部局をアメリカ大使館に問い合わせたところ「極東アメリカ軍という組織自体が消滅しており承継する組織もないので貸与していたものは『寄付』ということにして構わない」という回答を得たという。極東アメリカ軍の貸与物資については韓国や中華民国においても類似例があり、その事後処理に沿ったものと考えられる。 2006年5月30日にBS朝日で放送された『CAR GRAPHIC TV』では、自動車紹介番組ながら閉館直前の館内を取材したことがあった。また同年9月にフジテレビ系で放送されたドラマ『電車男DELUXE 最後の聖戦』では当時閉館直後だった跡地を「電車男ミュージアム」として仕立て上げ、ロケが行われた。 閉館後、増設部などの一部の建物は展示品の搬出のために取り壊され、屋外展示品は撤去されたが、交通文化振興財団は当館の残務整理に加え青梅鉄道公園の運営を受託していた関係で閉館後も事務所が引き続き存在したため、青梅鉄道公園にかかる契約が解消されて財団に対するJR東日本の影響力がなくなった2009年(平成21年)まで、建物本体は搬出作業の際に一部分が削られた状態のまま残されていた。契約解消後、2009年8月1日をもって財団自体がJR西日本に引き取られ、大阪・弁天町の交通科学博物館内に移動した。 詳細は「交通文化振興財団#概要・歴史」を参照 財団が退去した後の2009年8月20日、建物の解体工事が開始され、同年10月2日には再開発計画が明らかとなり、2010年(平成22年)3月25日に建物の概要が発表された。跡地にはJR東日本が建築主となって地上20階・地下2階の環境配慮型賃貸オフィスビル「JR神田万世橋ビル」が建設され、2013年1月に竣工した。同ビルはオフィスのほか、各種店舗、2階には東京都認証の保育所、3階・4階にはラウンジ機能を有したコンファレンス施設が入居する。またこれに併せる形で旧万世橋駅遺構も整備し、高架下の商業施設や駅舎跡の観光施設化を行い、2013年9月14日にマーチエキュート神田万世橋として開業した。
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閉館後の状況
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展示品の大部分は岐阜県歯科医師会が保存している。 閉館後も岐阜県歯科医師会内の歯の博物館のホームページで、展示物の画像は閲覧可能。
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