鋼製車グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:35 UTC 版)
ハ101 - 112 1956年(昭和31年) - 1962年(昭和37年)にかけて自社の大手工場・袋井工場で作られた10m級客車。それ以前はオープンデッキ車ばかりだった駿遠線の客車において、昭和30年代にも入って出現したこの車両が初めての客用扉つきの車両だったというのが、同線の設備面での立ち後れをある意味象徴していたと言えよう。なお室内の蛍光灯の電源用に車軸発電機を搭載している。特に初期の車両は、台枠は廃車した貨車の物の切り継ぎ、台車も貨車や静岡市内線の電車の物を流用するなどしており、このため台車の外観や車輪径などが各車両ごとに微妙に異なっている。 ハ101・102 1次車。前年に登場した三重交通サ150形電車によく似た箱形切妻のスタイルだが、かなり幕板部が広い。 ハ103 - 106 2次(1956年(昭和31年))・3次(1957年(昭和32年))増備車。1次増備車に比べ屋根が深くなって幕板部が狭くなった。 ハ107 - 108 4次(1957年(昭和32年))増備車。車体形状が一新され、やや丸みを帯びた車体形状に上段Hゴム固定のバス窓を採用、ウィンドウヘッダーのないノーヘッダーになるなど一気に近代的なスタイルへと変化した。妻面は緩い丸妻になり、屋根が張り上げ屋根化され、またラッシュ時の車掌の居場所を確保するため車内の一角に車掌台を設置した。なお、ハ108は1968年(昭和43年)ごろにハ112と車番を振り替えている。 ハ109 - 111 5次(1958年(昭和33年))増備車。4次増備車の特徴に加え、ノーシルノーヘッダー化されてより近代的なスタイルになっている。 ハ112 6次(1962年(昭和37年))増備車。4・5次増備車で丸妻だった妻面は切妻に戻り、駿遠線車両の貫通化計画を見越して貫通扉を設けているなど、さらに近代的なスタイルになって登場した。新製当初は新藤枝側で使用されたが、大井川を渡る際の貫通扉からの隙間風が問題になったことから、新袋井側への転属に際して1968年(昭和43年)ごろにハ108と車番を振り替えている。新袋井側の廃止後は磐田市の自動車教習所に譲渡された模様。 ハ110・111・108→112と下記のハ113 - 115は駿遠線最後の日まで走り続けた。 ハ113 - 115 草軽電気鉄道から購入した半鋼製ボギー車ホハ30形で、4両中3両を購入し、1963年(昭和38年)12月に自社工場で改修した。その際には新規設計申請を行い、当局の認可を得て施工した。このため中古車の廃車体を購入したものではあるが、事実上の新車といえる。これらのうち2両は大手工場で、1両は袋井工場で竣工している。妻面や側面戸袋窓の一部がHゴム支持となり、元は同一車体でありながら3両とも微妙に異なる外観となった。妻面の貫通扉は、外観は残っていたものの固定されていて開閉はできなかった。車内も一新され、特徴的だったセミクロスシートはロングシート化され、台車も自家製のものに履き替えられた。また塗色も草軽時代の栗色一色から、末期の駿遠線カラーともいえる横須賀色に近いツートンカラーに変更されている。
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