部隊名、記章、制服等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/27 10:09 UTC 版)
伝えられるところによれば、アンツィオでの作戦行動中、ある隊員がヘルマン・ゲーリング師団の中尉の日誌を手に入れた。その日誌には、「我々が前線に出る度、あの黒い悪魔共(The Black Devils)が我々を取り囲むのだ。我々は彼らが来たことに全く気がつかないのに」と記されていたという。隊員らはこのエピソードが事実か否かを確認していなかったものの、ここから部隊に対する「黒い悪魔」や「悪魔の旅団」(Devil's Brigade)といった異名が生まれたのである。隊員らは「悪魔の旅団」を自称することを好んだ。フレデリックは部隊章とDas dicke Ende kommt noch!(最悪の事態はまだこれからだ!)と右側に赤字で書かれたカードを作成し、隊員らは心理戦の一環として殺害したドイツ兵の死体の上にこのカードを残していった。隊員の1人であるヴィクター・ケイスナー軍曹(Victor Kaisner)が報告したところによれば、喉を切り裂かれた死体を目にしたドイツ兵達が"Schwarzer Teufel"(黒い悪魔)という言葉を使っていたという。近年の研究では、敵に恐怖を植え付ける為にフレデリックと幕僚たちがこの異名を考案したという説も主張されている。 当初、部隊は「勇者たち」(Braves)という非公式な愛称で呼ばれていた。槍の穂先(Spearhead, 「先鋒部隊」も意味する)を模した形の部隊章も、この愛称を念頭に置いたものである。部隊章は赤い穂先型で、USAと横書きされた下にCANADAと縦書きされている。兵科章はかつて米陸軍インディアン・スカウト(英語版)で使われていた、2本の矢が交差するデザインのものが使われた。ギャリソンキャップの縁には赤白青のパイピングが施されていた。空挺記章(Parachutist Wings)の周囲にも同じパイピングがあった。また、パラシュート用のシュラウドラインから作られた赤白青の飾緒も身に付けていた。 隊員のうち、アメリカ兵らはヘレナに到着した時点で米陸軍の標準的な装備、すなわち緑色の綾織で作られたカバーオール、カーキ色のズボン、ファチーグ・ハット(fatigue hat)として知られる戦闘帽、あるいは緑色の上下制服に帽子といったものを身に付けていた。雑多ではあったが、それでもおおむね共通の軍装を揃えていた。一方のカナダ兵らはイギリス連邦の伝統に従い、原隊毎に異なった軍装を身に付けてヘレナに現れた。例えばキルト姿の兵士もいれば、トルーズ(trews)と呼ばれるズボンやバミューダショーツを穿いた者もいた。制帽もギャリソンキャップのほか、スコットランド連隊出身者のカーキ色をしたタム・オシャンター帽(英語版)、機甲連隊出身者の黒いベレー帽など、様々なものが着用されていた。最終的にはオリーブドラブ色をしたアメリカ式の制服が支給され、これによって統一された。隊員の国籍は円形襟章で識別された。山岳戦においては、スキーパンツ、パーカー、ヘルメットが支給された。長靴は空挺隊員向けのものが標準的に支給されていたが、イタリア方面に展開する際に歩兵用長靴へ置換された。 フレデリックが最初に心配したのは、この2ヶ国連合部隊を編成するにあたっての混乱や対立である。基本的な技能や部隊指揮に関しても、両軍の間で様々な差異があった。効率的に活動する為にも、例えば行軍のような基礎的な命令については統一する必要があった。双方の兵士を満足させる為に妥協を重ねた末、アメリカ軍の軍楽隊に起床ラッパを演奏する為のカナダ人バグパイプ奏者を参加させること、行軍の方式は両軍折衷とすること、制服は統一することなどが決定した。結局、過酷な訓練を通じて連帯感を持った隊員たちの間では、フレデリックが心配したほどの問題は生じなかった。
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