遺跡の発見と保護とは? わかりやすく解説

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遺跡の発見と保護

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 10:22 UTC 版)

ボロブドゥール遺跡」の記事における「遺跡の発見と保護」の解説

この遺跡は、久しく忘れ去られ密林のなかに埋もれていた。その原因については、火山降灰よるものであるとする説と、イスラム教徒による破壊おそれて人びと埋めたという説がある。1814年イギリス人トーマス・ラッフルズ当時ジャワ総督代理)とオランダ人技師コルネリウスによってのなかで再発見され、その一部発掘された。 1851年から1854年にかけての第2次調査では、壁面レリーフのほとんどが現れ1885年発掘調査の際には、土台内壁に、人間あらゆる欲望描いた160面のレリーフ現れた。崩落危険性があるため、埋め戻され、再び覆い隠されることとなった1900年にはオランダ政府によって発掘調査委員会組織され1907年には写真記録おこなわれたまた、1907年から1911年にかけてはオランダ人技師ファン・エルプによって復原工事おこなわれている。 インドネシア独立後1960年代初頭には、遺跡崩壊寸前危機にあったが、地盤沈下による壁と床の傾斜ムラピ火山噴火後構造破壊を防ぐ目的で、ユネスコ主導のもと1973年から10年歳月と2,000ドル費用をかけて修復工事おこなわれ1982年完了したその際による浸食を防ぐため排水路設ける必要が生まれたため方形部分をいったん全部解体し、石のひとつひとつナンバリング施しコンピュータ管理をおこなっている。なお、この修復事業には日本はじめ27か国が資金協力おこなった日本では国際技術諮問委員として千原大五郎選出されている。 また、1980年からは日本技術協力おこないボロブドゥールプランバナン寺院群の2大遺跡その周辺歴史公園として整備し文化遺産保護しながら、観光地域振興を図る計画実施移された。 1991年にはボロブドゥール3kmムンドゥッ寺院、東1.8kmのパオン寺院とともにボロブドゥール寺院遺跡群」として世界遺産文化遺産登録された。この3寺院は、一直線並んで立地することから、付近一帯がこれらを含む多数寺院群で構成され巨大な仏教複合構造物ではなかったかという推測持たれている。 その後2006年5月27日ジョクジャカルタ付近震源地とするマグニチュード6.2ジャワ島中部地震起こり寺院石塔一部崩れるなどの被害受けた。これについては、被害状況調査がなされ、事後修復予定している。

※この「遺跡の発見と保護」の解説は、「ボロブドゥール遺跡」の解説の一部です。
「遺跡の発見と保護」を含む「ボロブドゥール遺跡」の記事については、「ボロブドゥール遺跡」の概要を参照ください。

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