遺跡の発見と登録
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1970年(昭和45年)にダム計画が明らかにされ、1971年(昭和46年)にはダム建設のための予備調査が始まった。この地域の考古学的な調査としては、『宮城県史』編纂に関連して行われた佐藤庄吉の分布調査があるものの、ダム建設予定地の遺跡は未発見となっていた。 1975年(昭和50年)12月には七ヶ宿ダム建設に伴う埋蔵文化財等の調査依頼があり、七ヶ宿町教育委員会・宮城県教育委員会によって1976年(昭和46年)5月16日から18日には水没計画地域全体の分布調査が実施され、同年10月刊行の『宮城県遺跡地名表』(宮城県文化財調査報告書第46集)に正式に登載された(大梁川遺跡No.04034)。
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遺跡の発見と登録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 15:35 UTC 版)
1970年(昭和45年)にダム計画が明らかにされ、1971年(昭和46年)にはダム建設のための予備調査が始まった。この地域の考古学的な調査としては、『宮城県史』編纂に関連して行われた佐藤庄吉の分布調査があるものの、ダム建設予定地内の遺跡は未発見となっていた。1976年(昭和51年)3月に七ヶ宿町公民館所蔵小梁川遺跡資料が『白石市史 別巻 考古資料篇』に紹介されたのが最初である。 1975年(昭和50年)12月には七ヶ宿ダム建設に伴う埋蔵文化財等の調査依頼があり、七ヶ宿町教育委員会・宮城県教育委員会によって1976年(昭和51年)5月16日から18日には水没計画地域全体の分布調査が実施され、同年10月刊行の『宮城県遺跡地名表』(宮城県文化財調査報告書第46集)に正式に登載された(小梁川遺跡No.04032)。
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