遺跡の発見と登録とは? わかりやすく解説

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遺跡の発見と登録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/14 08:08 UTC 版)

大梁川遺跡」の記事における「遺跡の発見と登録」の解説

1970年昭和45年)にダム計画明らかにされ、1971年昭和46年)にはダム建設のための予備調査始まった。この地域考古学的な調査としては、『宮城県史』編纂関連して行われた佐藤庄吉分布調査があるものの、ダム建設予定地の遺跡未発となっていた。 1975年昭和50年12月には七ヶ宿ダム建設に伴う埋蔵文化財等の調査依頼があり、七ヶ宿町教育委員会宮城県教育委員会によって1976年昭和46年5月16日から18日には水没計画地域全体分布調査実施され同年10月刊行の『宮城県遺跡地名表』(宮城県文化財調査報告書46集)に正式に登載された(大梁川遺跡No.04034)。

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遺跡の発見と登録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 15:35 UTC 版)

小梁川遺跡」の記事における「遺跡の発見と登録」の解説

1970年昭和45年)にダム計画明らかにされ、1971年昭和46年)にはダム建設のための予備調査始まった。この地域考古学的な調査としては、『宮城県史』編纂関連して行われた佐藤庄吉分布調査があるものの、ダム建設予定地内遺跡未発となっていた。1976年昭和51年3月七ヶ宿町公民館所蔵小梁川遺跡資料が『白石市別巻 考古資料篇』に紹介されたのが最初である。 1975年昭和50年12月には七ヶ宿ダム建設に伴う埋蔵文化財等の調査依頼があり、七ヶ宿町教育委員会宮城県教育委員会によって1976年昭和51年5月16日から18日には水没計画地域全体分布調査実施され同年10月刊行の『宮城県遺跡地名表』(宮城県文化財調査報告書46集)に正式に登載された(小梁川遺跡No.04032)。

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