遺伝学と人種分類
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1930年代から1945年に渡って行われた国家社会主義ドイツ労働者党による人種主義的政策は、ホロコーストやポライモスなどの大きな被害をもたらした。この反省から、1950年、人種偏見と人種主義の暴力に対峙するための科学的知識の普及のために国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が『人種に関する声明』を発表する。この声明は生物科学と社会科学の専門家からなる国際委員会による検討の後、自然人類学者のA・モンタギューによって起草された。声明(1950)では、人間の集団に見られる差異は、精神的な特徴に関しては見られず、人種とは遺伝子や身体形質の頻度によって異なる集団を指しており、この差異は進化的産物であると同時に動的なプロセスにあるという科学的定義を述べ、過去の人種概念が生物学的な特徴だけでなく、宗教や文化に至るまでの統一的な差異として語られており、それが人種間の不平等と暴力の正当化に繋がっていたことを「神話としての人種」という形で否定した。この声明自体にはテオドシウス・ドブジャンスキーなど多くの遺伝学者や自然人類学者がすぐさま反対したが、この声明によって人種概念が本質的な特徴に基づく類型ではなく、頻度の差異という連続的な差異によって定義された集団概念が一般に示されたと考えられる。1952年、クロード・レヴィ=ストロースはユネスコの依頼により、『人種と歴史』を執筆し、文化人類学者の中に人種概念の無効性が一般化された。 1960年代には人類全体の変異のバリエーションの内85%はどの人種にも存在し、人種や民族固有の変異は15%であると見積もられた(ただしこの推定には最大30%とする説まで議論がある)。これは当時考えられていたよりも遥かに人種間の遺伝的差異が小さいことを示していた。また人類全体の遺伝的多様性自体も他の多くの動物よりも小さく、例えばチンパンジーの遺伝的多様性の四分の一でしかない。 そこから分かるように、人の外見上の差異はゲノムのわずかな部分によってもたらされる。したがって外見的な特徴によって人を分類することは厳密性や正当性を欠いていると主張する者も多い。また外観的特徴に基づく人種分類が伝統的に人種差別に用いられてきたこと、同じ人種に分類される人々が必ずしも同じ外観的特徴を有していないこと、同じ人種とされる人々が必ずしも同じ文化を共有していないことなどの問題があり、DNA分析による遺伝学が進歩したことも加わって、人種と言う分類法は用いられなくなりつつあり、かわりに民族集団や連続的な遺伝的特徴をあらわすクラインといった概念が用いられるようになってきている。その結果、最近の人種分類は人類が単一種であることを前提にしつつ、地域的な特徴を持つ集団として、約1万年前の居住地域を基準とし、アフリカ人、西ユーラシア人、サフール人、東ユーラシア人、南北アメリカ人というように、地域名称で呼ぶことが提唱されている。。
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