運用・経歴
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「国鉄6200形蒸気機関車」の記事における「運用・経歴」の解説
本形式は、東海道線の全通にともなって必要となる幹線用蒸気機関車として、まず1897年にイギリスのニールソン社から18両(製造番号5164 - 5681)が輸入され、AN形 (224 - 241) とされた。これらは同時にアメリカのボールドウィン社から輸入されたAM形(D8形、後の6150形)との比較検討が行なわれた。その結果、官設鉄道では1900年にD9形を50両増備することとなり、ニールソン・レイド社(1898年に改称)に32両、ダブス社に18両が発注された。これらは、D9形 (600 - 649) として納入された。さらに同年、ドラモンド式水管付きのものも1両試作することとなり、これはダブス社に発注されて650として納入されている。1902年(明治35年)には、6両がダブス社に発注され、これによりD9形は75両が揃うことになった。このうち、ニールソン社製は弁室の位置によって、ダブス社製はドラモンド水管の有無によってそれぞれ2種(計4種)に細分類されている。 この際の官設鉄道における番号ならびに製造年、仕様、メーカー、製造番号の対照は次のとおりである。 600 - 611 内側弁室(第1種) 1900年ニールソン社製(製造番号5633 - 5644) 612 - 617 上側弁室(第2種) 1900年ニールソン社製(製造番号5645 - 5650) 618, 619 内側弁室(第1種) 1900年ニールソン社製(製造番号5651, 5652) 620 - 628 内側弁室(第3種) 1900年ダブス社製(製造番号3958 - 3966) 629 - 637 上側弁室(第3種) 1900年ダブス社製(製造番号3967 - 3975) 638, 639 内側弁室(第1種) 1900年ニールソン社製(製造番号5721, 5722) 640 - 649 上側弁室(第2種) 1900年ニールソン社製(製造番号5723 - 5732) 650 上側弁室(第4種) 1900年ダブス社製(製造番号4039) - ドラモンド水管付き 651 - 656 内側弁室(第3種) 1902年ダブス社製(製造番号4166 - 4171) これらは揃って、東海道線で使用された。1907年(明治40年)、雑多な旧形機や小形機の淘汰のため、官設鉄道はとりあえず実績のあるD9形60両の増備を計画したが、ダブス社、ニールソン社の後身であるノース・ブリティッシュ社は1両の受注も取ることができず、これらはドイツのハノーバー社、アメリカのアメリカン・ロコモティブ社に発注された。(これらについては後述) 1909年(明治42年)7月、鉄道国有法の施行を受けて制定された鉄道院の車両形式称号規程では、224 - 241, 600 - 619, 638 - 649, 651 - 656を6200形 (6200 - 6255) 、620 - 637, 650を6270形 (6270 - 6288) とされたが、間もなくメーカー別に形式を設定することになり、ニールソン社製を6200形 (6200 - 6249) 、ダブス社製を6270形 (6270 - 6294) とした。 1911年(明治44年)10月には、6200形の全機と6270形のうち18両が中部鉄道局に配置され、6270形の残りが西部鉄道局に配置されており、東海道線全線と横須賀線で使用されていた。その後、1913年(大正2年)から翌年にかけて東京鉄道局から神戸鉄道局への移動があり、北陸線への転用が進められた。 1915年(大正4年)4月からは、性能向上のため蒸気過熱器の取付けが行なわれ、1924年(大正12年)まで(1915年から1920年までとする文献もあり)に6200形15両、6270形1両に対して改造が行なわれた。1923年(大正12年)および1924年には10両 (6245 - 6249, 6236 - 6238, 6242, 6244) が東武鉄道に譲渡され、B5形 (41 - 50) に改められた。残りの49両は、1925年(大正14年)から1928年(昭和3年)にかけて、全てタンク機関車1070形に改造され、両形式とも消滅した。
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運用・経歴
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「国鉄6400形蒸気機関車」の記事における「運用・経歴」の解説
官設鉄道ではD12形(660 - 689)として主に浜松機関庫に配属され、東海道線東部(沼津 - 名古屋間)で最大急行列車の牽引にも使用された。1909年(明治42年)の車両形式称号規程制定時には、6400形(6400 - 6429)に改められている。 大正に入ると京阪神地区に移り、京都 - 姫路間で使用されたが、程なく地方への転属が始まり、参宮線、鹿児島本線、北陸本線、山陰本線などで、小運転や入換用に使用された。 1930年(昭和5年)から1931年(昭和6年)にかけて、全車が廃車解体され、譲渡車、保存車はない。
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