運用・経歴とは? わかりやすく解説

運用・経歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 11:44 UTC 版)

国鉄6200形蒸気機関車」の記事における「運用・経歴」の解説

形式は、東海道線の全通ともなって必要となる幹線蒸気機関車として、まず1897年イギリスニールソン社から18両(製造番号5164 - 5681)が輸入され、AN形 (224 - 241) とされた。これらは同時にアメリカボールドウィン社から輸入されたAM形(D8形、後の6150形)との比較検討が行なわれた。その結果官設鉄道では1900年にD9形を50増備することとなり、ニールソン・レイド社(1898年改称)に32両、ダブス社に18両が発注された。これらは、D9形 (600 - 649) として納入された。さらに同年ドラモンド水管付きのものも1両試作することとなり、これはダブス社に発注され650として納入されている。1902年明治35年)には、6両がダブス社に発注され、これによりD9形は75両が揃うことになったこのうちニールソン社製は弁室の位置によって、ダブス社製はドラモンド水管有無によってそれぞれ2種(計4種)に細分類されている。 この際官設鉄道における番号ならびに製造年仕様メーカー製造番号対照次のとおりである。 600 - 611 内側弁室(第1種1900年ニールソン社製(製造番号5633 - 5644) 612 - 617 上側弁室(第2種1900年ニールソン社製(製造番号5645 - 5650) 618, 619 内側弁室(第1種1900年ニールソン社製(製造番号5651, 5652) 620 - 628 内側弁室(第3種1900年ダブス社製(製造番号3958 - 3966) 629 - 637 上側弁室(第3種1900年ダブス社製(製造番号3967 - 3975) 638, 639 内側弁室(第1種1900年ニールソン社製(製造番号5721, 5722) 640 - 649 上側弁室(第2種1900年ニールソン社製(製造番号5723 - 5732) 650 上側弁室(第4種1900年ダブス社製(製造番号4039) - ドラモンド水管付き 651 - 656 内側弁室(第3種1902年ダブス社製(製造番号4166 - 4171) これらは揃って東海道線使用された。1907年明治40年)、雑多な旧形機や小形機の淘汰のため、官設鉄道とりあえ実績のあるD9形60両の増備計画したが、ダブス社、ニールソン社の後身であるノース・ブリティッシュ社は1両の受注も取ることができず、これらはドイツハノーバー社、アメリカアメリカン・ロコモティブ社に発注された。(これらについては後述1909年明治42年7月鉄道国有法施行受けて制定され鉄道院車両形式称号規程では、224 - 241, 600 - 619, 638 - 649, 651 - 656を6200形 (6200 - 6255) 、620 - 637, 6506270形 (6270 - 6288) とされたが、間もなくメーカー別に形式設定することになり、ニールソン社製を6200形 (6200 - 6249) 、ダブス社製を6270形 (6270 - 6294) とした。 1911年明治44年10月には、6200形の全機6270形のうち18両が中部鉄道局配置され6270形の残り西部鉄道局に配置されており、東海道線全線横須賀線使用されていた。その後1913年大正2年)から翌年にかけて東京鉄道局から神戸鉄道局への移動があり、北陸線への転用進められた。 1915年大正4年4月からは、性能上のため蒸気過熱器取付けが行なわれ、1924年大正12年)まで(1915年から1920年までとする文献もあり)に6200形15両、6270形1両に対して改造が行なわれた。1923年大正12年)および1924年には10両 (6245 - 6249, 6236 - 6238, 6242, 6244) が東武鉄道譲渡されB5形 (41 - 50) に改められた。残り49両は、1925年大正14年)から1928年昭和3年)にかけて、全てタンク機関車1070形改造され、両形式とも消滅した

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運用・経歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:48 UTC 版)

国鉄6400形蒸気機関車」の記事における「運用・経歴」の解説

官設鉄道ではD12形(660 - 689)として主に浜松機関庫配属され東海道線東部沼津 - 名古屋間)で最大急行列車牽引にも使用された。1909年明治42年)の車両形式称号規程制定時には、6400形(6400 - 6429)に改められている。 大正に入ると京阪神地区移り京都 - 姫路間で使用されたが、程なく地方への転属始まり参宮線鹿児島本線北陸本線山陰本線などで、小運転や入換用使用された。 1930年昭和5年)から1931年昭和6年)にかけて、全車廃車解体され、譲渡車保存車はない。

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