遊歩公園の彫刻記念碑とは? わかりやすく解説

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遊歩公園の彫刻・記念碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/11 04:25 UTC 版)

遊歩公園」の記事における「遊歩公園の彫刻・記念碑」の解説

遊歩公園内にある彫刻記念碑について、北から南の順で説明する聖フランシスコ・ザビエル像及び西洋音楽発祥記念像厳密に遊歩公園内にはないが、ほぼ同軸上にあるため併せて説明する聖フランシスコ・ザビエル像 西洋音楽発祥記念像 みどりのかげ 西洋医術発祥記念像 瀧廉太郎君像 史蹟 瀧廉太郎 終焉之地 西洋劇発祥記念碑 育児院と牛乳の記念碑 姉妹 聖フランシスコ・ザビエル像 1551年府内訪れてキリスト教布教行ったフランシスコ・ザビエル彫像彫刻家佐藤忠良作品で、1969年設置日本までの航路示した世界地図背景に、左手十字架持ち右手掲げたザビエル描写されている。厳密に遊歩公園ではなく公園北端交差点南西側角の大手公園内にある。 西洋音楽発祥記念像 1557年聖歌隊により賛美歌合唱され外国人神父からビオラ学んだ少年達1562年7月大友宗麟の前で演奏するなど、府内西洋音楽伝えられたことを記念する彫像彫刻家富永直樹作品で、1971年設置神父ビオラ演奏する様子描写している。厳密に遊歩公園ではなく公園北端交差点南東側角地大分県庁前広場にある。 伊東ドン・マンショ像 天正遣欧少年使節主席正使で、豊後大友宗麟名代としてローマ派遣され伊東マンショの像。長崎市平和祈念像知られる彫刻家北村西望による作品1975年設置洋装し、馬にまたがる伊東マンショ表している。 みどりのかげ 大分県出身彫刻家朝倉文夫による彫像で、あごに手を当てて思いに耽る裸婦描写している。1925年作品で、朝倉文夫から大分県寄贈されたものである健ちゃん像 北村西望による少年像で、大きな探検帽かぶった少年おどけた様子描写している。1917年作品で、第2回日展への出品作西洋医術発祥記念像 1557年日本初めての西洋式病院府内開かれ西洋式外科手術が行われたことを記念する像。病院開いたポルトガル人医師ルイス・デ・アルメイダ日本人助手とともに外科手術始めようとする様子表している。彫刻家古賀忠雄による作品1972年設置瀧廉太郎君像 大分県出身作曲家瀧廉太郎の像。朝倉文夫による1950年作品である。朝倉竹田高等小学校での滝の3年後輩であり、像の下部には廉太郎との関わり記した朝倉自筆の文が刻まれている。遊歩公園瀧廉太郎終焉の地でもあり、その地を示す標柱立てられている。 西洋劇発祥記念碑 1560年クリスマス府内西洋式演劇初め行われたことを記念する彫像その際演じられとされるソロモン裁判願った二人婦人』(ソロモン王が、自分母親だと主張する2人婦人子供引っ張らせ、先に手を離した方を母親認めたという逸話)の場面モチーフにしている。彫刻家舟越保武による1949年作品で、1974年設置育児院と牛乳の記念碑 アルメイダによって府内育児院が建てられたこと、及び、育児院で牛乳飲用されたことを記念する彫像アルメイダ中心に乳母乳児乳牛配している。彫刻家圓鍔勝三による作品で、1973年設置姉妹 朝倉文夫による姉妹像。1947年作品で、背中合わせに立つ2体の裸婦の像である。

※この「遊歩公園の彫刻・記念碑」の解説は、「遊歩公園」の解説の一部です。
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