超越論的主観性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 03:33 UTC 版)
現象学的還元によって超越論的主観性がとりだされたわけであるが、ここではまずデカルト的方途による還元とそれによってとりだされた超越論的主観性について概観を与え、この還元によって引き起こされると指摘される問題を叙述する。超越論的観念論について指摘された問題の克服については次項の志向性の項目において述べる。 フッサールの超越論的現象学に対する自己了解は、真の存在と認識の働きとの間の諸連関を明らかにし、そして一般に作用と意識と対象との間の相関関係を究明するというものだが、これは超越(意識に対して超越していること)と内在(意識に対して内在していること)の関係をあきらかにすることによって認識一般の究極的基礎づけを果たすという構想であった。ここでいう超越と内在の関係は、「与えられていること」と「存在していること」との関係への考察によって樹立される。客観的世界認識は主観的体験作用によって成立しているが、体験作用そのものにおいては所与されたものと存在するものが分かちがたく結びついており、体験作用こそ認識の確実性と明晰性の点で不可疑的に明証的なものとして与えられている。 先述のように、フッサールはデカルトにならって現象学的還元によりとりだされたこの絶対的なコギトに認識の究極的な源泉を認めた。『イデーン』第一巻ではこの現象学的還元への解釈として、現象学は超越的な物と内在的な体験とをそのありかたにおいて究明し、物や体験の存在について決定を下す超越論的観念論の立場をとるものとした。この考えでは超越的な物の与えられかたと内在的な体験の与えられかたとの区別から、それぞれの存在領分の区別がみちびかれ、物の与えられかたはつねに射映によって媒介されているとされる。それゆえに物の所与存在は物の存在そのものとは原理的に一致せず、それに対して体験の所与存在は体験の存在そのものとつねに合致していると説かれ、この区別から意識に対する超越と内在の区別もみちびかれるわけである。しかしこのような認識のもとでは超越的なものの存在は決して体験できず、物の領分と心の領分は交わらず互いに閉鎖的なものとなってしまい、それゆえにこういった超越的なものを存在者として認識の対象とみなすことそのものが無意味になってしまう。そこで意識というものは他の存在領域と併存する単なる存在領域のひとつではなく、むしろ射映的に与えられる超越的なものがいかに存在するのかを決定する絶対的な場所とみなさなければならない。 こういった経緯から、フッサールは意識が超越的なものの所与につねに先立つそれ自体として完結した絶対的存在であり、またそれに対して超越的なものの存在は意識に依存する相対的存在である、という結論をみちびきだした。このようにして、所与存在の区別と存在そのものの区別が結合され、志向的相関関係が存在領分の区別とかさなり、存在としての超越的なものが志向性の相関者として把握される対象存在へと転化され、これを構成する純粋意識こそが絶対的存在であるとみなす超越論的観念論の立場が樹立されることとなった。しかしこの超越論的観念論による認識論的意味における超越と形而上学的意味における超越との結合は、さまざまな問題を引き起こすこととなり、シェーラーなどによって形而上学的独断と批判されることとなった。たしかにこのような考えは、あきらかにフッサールが超越的なものの存在領分をはじめから相対的で非自立的なものとして扱おうとしていたことを示しており、そしてまたそれに対して意識が超越的なものの実在の措定あるいは反措定という絶対的な権能を与えられている。そこでは、対象が対象であることと対象が現実に実在していることの違いを明確に規定しないで、対象の存在という概念を曖昧な意味のまま使用していたことが読みとれる。このような両義性はフッサールのもちいる構成の概念などにも見受けられ、「フッサールの現象学の内に含まれる不整合性」として指摘される。 しかし、このような形而上学的独断は必ずしもフッサールの現象学とその還元に必然的な原理的誤謬であったわけではなく、むしろ超越論的現象学とは、内部と外部、内在と超越をどちらか一方に依存する関係として捉えることによって成立するというよりも、内部と外部との相関関係としての志向性の概念に定位し、この志向性の本質である世界の構成的能作としての働きを解明しようとするという点において、超越論的である。それゆえ、たしかに意識は超越的なものの存在や非存在を、志向的体験をとおして決定する場所であるとはいえるが、それがそのまま意識が超越的なものの存在領分の相対化を招くほどに絶対的存在であるということにはつながらない。現象学的還元による対象の定立の中止、また括弧入れとは、一度対象の存在についての判断を留保することであり、そういった超越的なものの存在の可否を先行的に決定するものではない。
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