超越論的主要問題の第三部:如何にして形而上学一般は可能か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/31 06:52 UTC 版)
「学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のためのプロレゴメナ」の記事における「超越論的主要問題の第三部:如何にして形而上学一般は可能か」の解説
この著作の三つ目の部分は、『純粋理性批判』の超越論的弁証論の簡略化されかなり短くされたものを提示している。ここで、中心的な認識器官として本来の意味での(再びカントの用語法に従って)理性が主題となっている。感性と悟性が(上述のように)自然についての我々の認識を構成するのに対して、理性は自然に対して統制的なものとして我々を指導することで全ての可能な認識の全体を目指すのに役立つ。そこで、我々が理性が新しい認識のための構成的な権能をもつと誤って考え、それによっていわゆるアンチノミーに陥いってしまう危険が生じる。そのアンチノミーは、認識しうる存在者としての我々が追求す「べき」ものと我々が認識し「得る」ものとの混同にすべて基づいている。 そこから形而上学的な問題提起が、世界の時間的空間的な制約に従って、全ての存在者の第一原因あるいは神の実存に従って、生じる。このことは、認識能力としての我々の理性の批判によって、理性がその能力のうちで証明したいものだが、理性はまた同時に制限され、全てのこの問題提起の(理論的な)解決不可能性だけが証明されるのである。
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