語義論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 02:27 UTC 版)
ケニングは、拡張されて時に鮮烈な隠喩表現を生むことがある。例としては「盾は『柄の固い足』(=剣の刃)によって踏みつけられた」「『傷の海』(=血)が剣の枕地(=盾)に吹き付けられた」などが挙げられる。スノッリはこういった表現を「新奇な創造」(古ノルド語: nýgerving、ニュゲルウィング)と呼び、『韻律一覧』の第6段で例示している。ここでみられる表現上の効果は、自然な比喩とわざとらしい技巧の相互作用によるものである。しかしスカルド詩人は、こういった有機的な隠喩の拡張ではない、単に装飾的なだけのケニングを恣意的に使うこともよくあった。「支配者というのは、たとえ戦闘中であったとしても『金の分配者』であるし、金というのは、腕輪にされていたとしても『海の火』である。金の腕輪をつけた男が戦闘しているとして、海に言及することはその状況と何の関係もないし、戦闘の描写に貢献していない」。 こういった単なる隠喩の混合は、スノッリは誇張(古ノルド語: nykrat、ニュクラート)と呼び、ニュゲルウィングと区別した。甥のオーラヴ・ソルザルソンは過ち(古ノルド語: löstr)とすら呼んでいる。それにもかかわらず、「多くの詩人はこの規則に従っていないばかりか、中には、互いに異なる複数のケニングと、それらと関係がなかったり調和しないような動詞を一節に並べて使うようなおかしな手法を好んでいたようにしか見えないものもいる」。 ケニングの中に同じものを指すケニングが含まれているような、冗長な表現が見られることがある。例えば、"barmi dólg-svölu"「敵対的なつばめの同胞」=「からすの同胞」=「からす」や、"blik-meiðendr bauga láðs"「腕輪の地できらめきを殖やすもの」=「腕のきらめきを殖やすもの」=「腕輪を殖やすもの」=「貴族・指導者」)などがある。 古ノルド語のケニングには、比較的平易なものもあるものの、神話や伝説の知識に依拠したものも多い。例えば空は、自然な表現として"él-ker"「大雨の桶」と呼ばれることがある一方で、"Ymis haus"「ユミルの頭蓋」と呼ばれることがある。これは、太古の巨人ユミルの頭蓋骨から空が作られたという考えを参照したものである。"rimmu Yggr"「戦いのオージン」=「戦士」のように、特に関連する物語があるわけではないが、神話上の存在をある種の慣例で使うこともある。 中世アイスランドの詩人は、異教の神話への言及や貴族的な添え名と一体となった伝統的なケニングのレパートリーを用いて、キリスト教的なテーマを扱うこともあった。聖人に当てた例もある("Þrúðr falda"「頭飾りのスルーズ」=聖カタリナ、など)。 Aという特徴を常に持つBについて、ABという形式をとる同語反復的なケニングがあり、これは「Aという特徴を持つ点においてBのごときもの」という意味をもつ。例えば"skjald-Njörðr"「盾のニョルズ」というフレーズは、ニョルズ神が盾持つ神であるがゆえに同語反復的であり、「盾を持っているニョルズのようなもの」つまり「ニョルズのように盾持つもの」すなわち「戦士」を意味するケニングである。現代英語でも、化粧好きな女性を指す侮蔑語である"painted Jezebel"「厚化粧のイゼベル」の例がある。
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