記録・競技
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1909年(アンリ・ファルマンによる記録) 同1909年中に当機によりアンリ・ファルマン自身が当時の長距離飛行・航続時間の世界記録を2度更新している。 8月27日にランスの競技会で、記録:180km(3時間4分56秒) また11月3日にムルムロン(Mourmelon-le-Grand)飛行場で、記録:232km(4時間17分53秒) このうち前者のランスで夏に開催された初の国際飛行競技会には、前述の通りエンジンをノーム社製オメガに換装して臨み、長距離種目で優勝したほか、飛行高度の種目でも高さ110mを記録して2位、さらに史上初めて2人の乗客を載せての3人乗り飛行に成功しこの種目でも1位を獲得した。 1910年 (ルイ・ポーラン、グラハム=ホワイトの活躍) 1910年(明治43年)1月10日-20日、ロサンゼルス国際飛行競技会(1910 Los Angeles International Air Meet at Dominguez Field)が開催され、招待を受けたフランス人飛行家ルイ・ポーランは2機のファルマンIIIを携え、アメリカ西海岸に渡った。この大会でポーランは高さ1,269mの高度飛行記録と1時間49分の航続時間の記録を塗り替え、合計で19,000ドルの賞金を獲得した。また、観客の頭上ギリギリを低空飛行するなどアメリカ人の観衆を大いに沸かせ、当機を駆る彼の名は当時 "King of the Air"(空の王者)などとも賛称され、広く知られるところとなった。 同年春の4月23日-28日、イギリスのロンドン-マンチェスター間で懸賞金飛行レース(1910年のロンドン・マンチェスター間エアレース)が行われた。このレースでは勝者を争う2機の機体が両者ともファルマンIIIであった。先立っての1906年、イギリスの日刊大衆紙「デイリー・メール」は、ロンドン-マンチェスター間294kmを2回以下の着陸で24時間以内に渡航出来たら、当時の値段で10,000ポンドの懸賞金を出すと公表していた。それまで非現実的と思われていたこの条件に1910年、最初に挑戦したのはファルマンIIIを駆るイギリス人、クロード・グラハム=ホワイトだった。だが、途中エンジンの不調や大風などに見舞われ、実際に先に達成したのは前述のフランス人、ルイ・ポーランだった。彼は28日の夕方午後5時32分にマンチェスター郊外のDidsburyに到着し、賞金の1万ポンドを獲得した。 勝者となったポーランのファルマンIIIはより新しく改良された機体で、特にそれまで等幅だった上下の翼幅が変更され、上翼を拡張、下翼を縮小されていた。エルロンは上翼の2枚のみとなった。この改良により飛行性能は向上したとされ、以降この型が踏襲されている。 一方、レースでは賞金獲得には至らなかったグラハム=ホワイトだが、最終日の夜明け前、後発でリードしていたポーランに少しでも追い着こうと、午前2時50分に出発し、未明の暗闇のなかクルーの運転する自動車のヘッドライトや鉄道の駅の灯りなどを頼りにしながら飛行していた。これは歴史上初の夜間飛行とされている。また彼はその年の10月14日にはアメリカのワシントンでデモンストレーション飛行を行い、ホワイトハウス近くの通りに着陸したが、逮捕されることもなく新聞各紙に賞賛の記事が書かれた。 ルイ・ポーラン Didsburyに到着するポーラン(上翼が拡張・下翼が縮小されている) グラハム=ホワイト ワシントン市街を飛ぶグラハム=ホワイト
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