解釈、解説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 00:06 UTC 版)
「メタファー」、「解釈」、および「説明」も参照 通説 (日本での)通説は、主として翻訳を行った内藤濯の解釈に基づくものであり、長らく支配的な説であった[要出典]。しかし後述の異説が提示され、立場は揺らいでいる[要出典]。 作品の冒頭「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」とあるように、この作品は、子供の心を忘れてしまった大人に向けたものである。王子が訪れた小惑星で出会うのは、いずれも愚かさを風刺化された大人たちであるし、子供の心を持ち続けようとする「ぼく」も、飛行機の修理に夢中になるあまりに、王子の話をぞんざいに聞いてしまったりする。また、別の場面に登場する、何をするにつけても急ぎ、どこに行くかもよく理解しないまま特急列車であちこちに移動したり、時間を節約することにあくせくして、節約した時間で何をするかを考えていなかったりという大人たちの姿も、作者による痛烈な批判である。 キツネとの対話は、この作品の重要な場面である。あるものを他と違っていとしく思うことができるのはなぜなのか。自分の愛情の対象であった小惑星やバラへの自信を失って悩む王子に対して、キツネは「仲良くなる」とはどういうことかを通じて、友情、ひいては愛情(人間愛ではなく恋愛的な意味での愛情)についてを語ることになる。「大切なものは、目に見えない」という作品上の重要な台詞が登場するのもこの場面である。この台詞に基づく考えは後にも登場し、「砂漠が美しく見えるのは、そのどこかに井戸を隠しているから」、さらには「夜空が美しく見えるのは、そのどこかに王子が今もバラと暮らしているから」という考え方に繋がるのである。 「星の王子さま」の最後のシーンでは、「ぼく」の最期ははっきりとは描かれていない。 異説 「星の王子さまはとてもファンタジーな本」とする説とは異なる説も提示されている。日本でその嚆矢となったのは、塚崎幹夫の『星の王子さまの世界〜読み方くらべへの招待』(中公新書、1982年刊)である。 この説によると本書は、「ヨーロッパで戦争に巻き込まれて辛い思いをしている人々への勇気づけの書」であるとされている。この観点から読み解けば、エピソードの多くは具体的な背景を持つ。以下に3つほど例示する。 3本のバオバブの木を放置しておいたために破滅した星ドイツ・イタリア・日本の枢軸側の3国に適切な対応をしなかったため、第二次世界大戦を引き起こした国際社会。 自分の体面を保つために汲々としている王このエピソードは、王が王子を大使に任命して終わっている。サン=テグジュペリ自身も、フランス国外に脱出したあと、フランス・ヴィシー政府(ドイツによるフランス攻撃でフランスが劣勢になった後に作られた「枢軸国寄り」と評されることも多い、妥協的な政府)から文化大使に任命されている。 5016227315億162万2731という妙に直截な数字は、第二次世界大戦を引き起こした国民の合計になる[要出典]。そのまえの数字の足し算は、第二次大戦に加担した人間が増えるさまを克明に記録している。
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