西月ヶ岡遺跡
名称: | 西月ヶ岡遺跡 |
ふりがな: | にしつきがおかいせき |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 北海道 |
市区町村: | 根室市西浜町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1976.08.28(昭和51.08.28) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S51-6-004[[西月]にしつき]ヶ[[岡]おか]遺跡.txt: 根室市街地の西郊外に所在する擦文土器の時代を中心とする集落跡である。洪積台地を開析して流れるキナトイシ川の小谷に向かって舌状に突出した3つの台地上に、約300基の竪穴住居跡が凹地をなして点在する。それらの竪穴の凹みは、正方形を基本とするが、長方形・楕円形・円形もみられ、とくに大形のものは正方形を呈している。竪穴群は、自然地形に即して、北丘の124基、中央丘の45基、南丘の57基がまとまりを示す支群を形成する。 昭和38年、東京教育大学と根室市教育委員会が発掘し、竪穴住居床面から擦文土器とともに内耳土器を発見した。また、栽培種と考えられるモロコシが検出され、擦文文化の性格を解明する上でも重要な資料となっている。 |
西月ヶ岡遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 08:24 UTC 版)
座標: 北緯43度18分59秒 東経145度33分31秒 / 北緯43.31649942度 東経145.5586636度
西月ヶ岡遺跡(にしつきがおかいせき)は、北海道根室市西浜町にある、擦文時代を中心とした集落遺跡[1]。国史跡・日本遺産。
解説
キナトイシ川の方向に舌状に突き出た3つの台地(20メートルから30メートル)上にある。およそ300〜350棟もの大小の竪穴建物跡が[2]、正方形や長方形、楕円形や円形など様々な形状の凹地を成して点在している。1963年に東京教育大学と根室市教育委員会が調査したところ、擦文土器や内耳土器、モロコシ(栽培種とみられる)などが発見されている[3]。そのため、後続するアイヌ文化期との関連が指摘されるなど貴重な遺跡として[2]、1976年8月28日、西月ヶ岡遺跡は国史跡に指定された。なお、竪穴は約1200年が過ぎた現在も完全に埋まっておらず、月のクレーターのような窪みとして残っている。所在地は、根室市西浜町6丁目9番地。
脚注
- ^ “西月ヶ岡遺跡 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2020年12月4日閲覧。
- ^ a b “西月ヶ岡遺跡 (根室市) | 根室振興局産業振興部商工労働観光課”. www.nemuro.pref.hokkaido.lg.jp. 2020年12月4日閲覧。
- ^ “西月ヶ岡遺跡 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2020年12月4日閲覧。
外部リンク
- 西月ヶ岡遺跡 - 文化遺産オンライン
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