複数スクリーンの時代
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「吉祥寺オデヲン」の記事における「複数スクリーンの時代」の解説
1978年(昭和53年)、同館を休館、建て壊して改築し、同年10月、同館の跡地に吉祥寺東亜会館を新築・開業、同会館内に吉祥寺松竹オデヲン(地下1階、のちの吉祥寺松竹、吉祥寺オデヲン座)、吉祥寺スカラ座(3階)、吉祥寺セントラル(5階)、吉祥寺アカデミー(2階、のちの吉祥寺東宝)の4館を新たに開館、1階には吉祥寺ゲームセンターを開業、東亜興行が直営した。このころには吉祥寺地区にはほかに、吉祥寺名画座、吉祥寺ムサシノ、吉祥寺東映、吉祥寺東宝の4館があり、合計して8館になった。1981年(昭和56年)前後には、吉祥寺松竹オデヲンを吉祥寺松竹、吉祥寺アカデミーを吉祥寺アカデミー東宝と改称、それぞれ松竹系・東宝系の新作を公開するロードショー館として機能した。このころには吉祥寺名画座がテアトル吉祥寺(のちの吉祥寺ピカデリー)、吉祥寺東宝が吉祥寺ロマン劇場にそれぞれ改称していた。のちに吉祥寺アカデミー東宝は吉祥寺東宝と改称しており、1990年(平成2年)前後には、吉祥寺松竹を吉祥寺オデヲン座と改称、統一前の最終的な同会館内の映画館の名称が出揃った。このころには、同会館のほかの映画館は、吉祥寺ロマン劇場はすでになく(1989年3月31日閉館)、吉祥寺ムサシノは改装して吉祥寺バウスシアターとジャヴ50に分割、テアトル吉祥寺、吉祥寺東映劇場があった。 2012年(平成24年)1月21日、同会館内の全4つの映画館を吉祥寺オデヲンと改称。8月31日には地下1階にあった映画館(旧吉祥寺オデヲン座、観客人員220名)を廃止し全3スクリーンとなり、現在に至る。地下1階の映画館跡には1階同様、パチンコ店「オリエンタルパサージュ吉祥寺」が入居している。同年の時点で同地区では、同館のほかに吉祥寺バウスシアター(3スクリーン)、吉祥寺プラザ(1スクリーン) の合計3サイト・7スクリーンが存在していたが、バウスシアターが2014年(平成26年)6月10日に完全閉鎖されたため、同地区内の映画館は2サイト・4スクリーンに減少している。
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複数スクリーンの時代
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「帯広キネマ館」の記事における「複数スクリーンの時代」の解説
「長崎屋#過去に存在していた店舗」も参照 1966年(昭和41年)、夷石興行の社長が夷石龍彦に交代。1970年(昭和45年)、20年続いた3代目の建物を取り壊し、同年9月23日に自社ビルとなる「いせきビル」を建設。同ビル地下1階にキネマ館、その上層階に長崎屋帯広店が入居し新たなスタートを切る。この時のリニューアルオープン番組としてザ・ドリフターズの映画『ズンドコズンドコ全員集合!!』とコント55号主演の『こちら55号応答せよ!危機百発』といった松竹映画2本立が上映されている。その一方でプリンス劇場は存続するが、テアトル銀映と帯広大映は閉鎖の憂き目にあうこととなった。1990年(平成2年)、長崎屋帯広店が西4条南12丁目に移転したのを機にビルの名称を「ポポロビル」に改め、「キネマ2」(1992年11月14日 - )「キネマ5」(1997年4月19日 - )「キネマ6」(2001年 - )を相次いで同ビル内に新設。4スクリーンを有する映画館となった。同市出身の映画監督・熊切和喜は高校時代にキネマ館へよく行ったことを「十勝毎日新聞」の記事で語っている。1995年(平成7年)、夷石行夫が社長に就任する。 2000年(平成12年)時点の帯広市にはキネマ館3スクリーンのほかに、帯広プリンス劇場(西1条南9丁目)、帯広グランドシネマ(西4条南9丁目)、帯広シネマアポロン(西4条南9丁目)、帯広テアトロポニー(西4条南9丁目)、帯広シネマ(西3条南9丁目)、帯広ミラノ(西3条南9丁目)の計9スクリーンがあった。しかし、1977年(昭和52年)に開業したライバル館「帯広スガイ」(グランドシネマ・シネマアポロン・テアトロポニー)が閉鎖され、同市内の映画館はキネマ館4スクリーンとプリンス劇場、西3条南9丁目にあった帯広ミラノ座・帯広シネマの計7スクリーンに減少した。この頃、帯広サティ(現:イオン帯広店)付近にワーナー・マイカル・シネマズを建設する計画が報じられたが、程なくして頓挫。その一方でいせきグループもシネコン構想を練っていたものの、結局実現することはなかった。そして2003年(平成15年)11月5日、西3条南11丁目の帯広太陽ビル7階に5スクリーンのシネコン「シネマ太陽帯広」がオープン。競合回避のためプリンス劇場は同年11月7日に経営から撤退し、NPO法人「CINEとかち」に譲り受ける。そしてキネマ館4スクリーンは同年11月30日にすべて閉館。最終興行として同年11月29日と30日に『タイタニック』が上映され、84年の歴史にピリオドを打った。
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