複数スクリーンの時代とは? わかりやすく解説

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複数スクリーンの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 09:57 UTC 版)

吉祥寺オデヲン」の記事における「複数スクリーンの時代」の解説

1978年昭和53年)、同館を休館、建て壊して改築し同年10月、同館の跡地吉祥寺東亜会館新築開業、同会館内に吉祥寺松竹オデヲン(地下1階、のちの吉祥寺松竹吉祥寺オデヲン座)、吉祥寺スカラ座3階)、吉祥寺セントラル5階)、吉祥寺アカデミー2階、のちの吉祥寺東宝)の4館を新たに開館1階には吉祥寺ゲームセンター開業東亜興行直営したこのころには吉祥寺地区にはほかに、吉祥寺名画座吉祥寺ムサシノ吉祥寺東映吉祥寺東宝の4館があり、合計して8館になった1981年昭和56年前後には、吉祥寺松竹オデヲンを吉祥寺松竹吉祥寺アカデミー吉祥寺アカデミー東宝改称それぞれ松竹系東宝系の新作公開するロードショー館として機能したこのころには吉祥寺名画座テアトル吉祥寺(のちの吉祥寺ピカデリー)、吉祥寺東宝吉祥寺ロマン劇場それぞれ改称していた。のちに吉祥寺アカデミー東宝吉祥寺東宝改称しており、1990年平成2年前後には、吉祥寺松竹吉祥寺オデヲン座改称統一前最終的な会館内の映画館の名称が出揃ったこのころには、同会館のほかの映画館は、吉祥寺ロマン劇場はすでになく(1989年3月31日閉館)、吉祥寺ムサシノ改装して吉祥寺バウスシアターとジャヴ50分割テアトル吉祥寺吉祥寺東映劇場があった。 2012年平成24年1月21日、同会館内の4つ映画館吉祥寺オデヲン改称8月31日には地下1階にあった映画館(旧吉祥寺オデヲン座観客人員220名)を廃止し全3スクリーンとなり、現在に至る。地下1階映画館跡には1階同様、パチンコ店「オリエンタルパサージュ吉祥寺」が入居している。同年時点同地区では、同館のほかに吉祥寺バウスシアター(3スクリーン)、吉祥寺プラザ(1スクリーン) の合計3サイト・7スクリーン存在していたが、バウスシアター2014年平成26年6月10日に完全閉鎖されたため、同地区内の映画館2サイト・4スクリーン減少している。

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複数スクリーンの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 08:35 UTC 版)

帯広キネマ館」の記事における「複数スクリーンの時代」の解説

長崎屋#過去に存在していた店舗」も参照 1966年昭和41年)、夷石興行の社長が夷石龍彦に交代1970年昭和45年)、20年続いた3代目建物取り壊し同年9月23日自社ビルとなる「いせきビル」を建設。同ビル地下1階キネマ館、その上層階に長崎屋帯広店が入居し新たなスタートを切る。この時のリニューアルオープン番組としてザ・ドリフターズの映画ズンドコズンドコ全員集合!!』とコント55号主演の『こちら55号応答せよ!危機百発』といった松竹映画2本立上映されている。その一方でプリンス劇場存続するが、テアトル銀映帯広大映閉鎖憂き目にあうこととなった1990年平成2年)、長崎屋帯広店が西4条南12丁目移転したのを機にビルの名称を「ポポロビル」に改め、「キネマ2」(1992年11月14日 - )「キネマ5」(1997年4月19日 - )「キネマ6」(2001年 - )を相次いでビル内に新設。4スクリーン有する映画館となった。同市出身映画監督熊切和喜は高校時代キネマ館へよく行ったことを「十勝毎日新聞」の記事語っている。1995年平成7年)、夷石行夫が社長に就任する2000年平成12年時点帯広市にはキネマ館3スクリーンのほかに、帯広プリンス劇場(西1条9丁目)、帯広グランドシネマ(西4条南9丁目)、帯広シネマアポロン(西4条南9丁目)、帯広テアトロポニー(西4条南9丁目)、帯広シネマ(西3条9丁目)、帯広ミラノ(西3条9丁目)の計9スクリーンがあった。しかし、1977年昭和52年)に開業したライバル館「帯広スガイ」(グランドシネマ・シネマアポロン・テアトロポニー)が閉鎖され、同市内映画館キネマ館4スクリーンプリンス劇場、西3条9丁目にあった帯広ミラノ座帯広シネマの計7スクリーン減少したこの頃帯広サティ(現:イオン帯広店付近にワーナー・マイカル・シネマズ建設する計画報じられたが、程なくして頓挫。その一方でいせきグループシネコン構想練っていたものの、結局実現することはなかった。そして2003年平成15年11月5日、西3条11丁目の帯広太陽ビル7階に5スクリーンシネコンシネマ太陽帯広」がオープン競合回避のためプリンス劇場同年11月7日経営から撤退しNPO法人CINEとかち」に譲り受ける。そしてキネマ館4スクリーン同年11月30日にすべて閉館最終興行として同年11月29日30日に『タイタニック』が上映され84年歴史ピリオドを打った

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