複数イザヤ説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 03:50 UTC 版)
複数イザヤ説の立場には、大きく前半と後半に分けることができ、前半の39章を『第一イザヤ書』と呼ぶ学者がいる。高等批評の立場の近代聖書学者は、この『第一イザヤ書』のみが紀元前8世紀の預言者イザヤ自身によって語られたと考えている(ただし、高等批評では1-39章においても多くの箇所が前8世紀のイザヤ自身によるものではないと考えられる)。 後半はさらに2つに分けられるが、高等批評では著者の名前は知られていないとされる。 高等批評では、他のほとんどの預言書がそうであるように、預言者によって語られた言葉が弟子たちによってまず口承で受け継がれ、その後文書化されて以降も複雑な編集過程を経たと考えられており、それに伴い、構成も単純ではないとされる。 1892年の注解書の中でルター派神学者ベルンハルト・ドゥーム(Bernhard Duhm)が、56-66章を第三の預言者に帰されると主張して以来、バビロン捕囚からの帰還の時期に活動したと考えられる預言者による『第二イザヤ書』(40~55章)とさらに後代の預言者によるとされる『第三イザヤ書』(56~66章)が自由主義神学では区別される。
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