製造方法と標準化の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:09 UTC 版)
西洋での産業革命期には、締結用のねじが大量に生産されるようになった。産業革命によって金属製のねじが蒸気機関や紡績機械、各種工作機械に欠かせないようになっただけでなく、そもそも精密に物の長さや角度を測ったり物を加工するには、ねじ構造が必須であり、産業革命もこれらの技術がなければ成り立たなかった。 ねじは専門業者が製造していたが、各機械メーカーは自社製の機械に合わせて独自の直径・ピッチのねじを発注していたため、大量生産の利点は生かされていなかった。 ねじの形式を調査し標準化に貢献した人物にジョセフ・ホイットワース(または、ウイットウォース)(Joseph Baronet Whitworth 1803-1887) がいる。モーズリーの弟子であった彼は、顧客から製作を求められる多様なねじの形状を整理した上で、1841年には山の角度を55度とするなど独自の規格を決めて公表した。1841年に発表されたこのねじ形式を「ウィットウォースねじ」という。この「ウィットウォースねじ」の規格が次第に普及し、英国の国家規格BSに正式に採用された。 ねじの標準化の動きは、工業製品の大量生産を得意するアメリカ合衆国でも進められ、ウィリアム・セラーズがウィットウォースねじに改良を加え、山の角度60度の「インチ系ねじ」を発表した。これは1868年に「セラーズねじ」として米国内標準規格となり、米国政府関係事業に全面的に採用され、「USねじ」「アメリカねじ」とも呼ばれるようになった。このUSねじ規格は、第2次世界大戦中に米国、英国、カナダの3ヶ国が武器に使用するための互換性のあるねじとして生み出された「ユニファイねじ」規格へと発展した。こういった北米圏での「インチ系ねじ」とは別に、1894年にまずフランスで制定され、1898年にはフランス、スイス、ドイツが採用した、山の角度60度の「メートル系ねじ」が「SIねじ」規格として欧州域で普及し、その後も広く使われた。このSIねじが21世紀現在、世界中で最も普及している「メートルねじ」の原形になっている。 メートル系やインチ系といった違いの他にも、各国ごとにそれぞれ異なるねじ規格が存在していたため、国際間の物流の拡大につれて不便が生じ始めた。やがて、世界的なねじの互換性の要求が高くなり、国際間でのねじを統一しようとする動きが起こった。 第二次世界大戦期後、1947年に国際標準化機構 (ISO) が設立され、ねじ規格でも国際的な標準化が進められた結果、1953年に「ISAメートルねじ」に準じた全世界共通の「ISOメートルねじ」規格を制定するとともに、アメリカ、イギリス、カナダが推奨する「ユニファイねじ」を「ISOインチねじ」として採用した。 加工法では、1955年頃から転造法による生産が本格化した。 日本でも、日本産業規格 (JIS) によってねじの標準規格が作られている。1975年からは毎年の6月1日を「ねじの日」としている。ISOによるねじの国際規格は世界の統一規格のために定められたが、北米圏や豪州では使用されていない。日本国内ではかつてはインチねじが主流を占めていたが、今では国際規格であるISO規格に準じたJIS規格によって寸法が統一され、インチねじは航空機その他特に必要な場合に使われる程度になっている。日本国内での輸入製品などの修理には、ユニファイやインチといった海外規格のねじが必要になる。
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