製造断念への経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 01:50 UTC 版)
2階建て客車の受注獲得に先立つ2012年7月に、日本車輌製造はイリノイ州ロシェル市に新工場を建設し、資材調達から最終試験まで全てを現地で行う事業体制を整えていた。更にこの大型案件に際して2014年7月に工場を拡張し、多数の従業員を採用した上で2015年以降の製造開始に備えた。だが、新規の従業員への技術の習熟が想定よりも遅れた事で製造現場に混乱が生じた結果納期が遅れ、2014年度の日本車輌製造の業績が7年ぶりの最終赤字に転落する要因となった。 翌2015年度には日本人社員を多数派遣することで習熟度の向上が図られたが、同年8月に製造された試作構体が連邦政府によって定められた安全基準や強度を満たしていない事が判明した。これを解決するためには指摘された箇所に加え車体構造全体を再設計しなければならず、原価高も重なり2016年10月の時点で損失は104億円にも膨れ上がった。更に部品調達先としていた台車メーカーが倒産する事態が起き、同年9月を期限としていたARRAによる資金の使用期限や連邦政府が指定していた2018年までの車両納入に向けた案件の遂行が困難になった旨を各事業者に報告した事を、2017年1月27日に発表された2016年度第3四半期決算で公開するにまで至った。 そして2017年11月6日、住友商事はこのプロジェクトに関して、車両の製造メーカーを日本車輌製造からシーメンスに変更するという契約内容の改訂を発表した。これに伴い、車両製造を断念した日本車輌製造は住友商事に対し3億2,894万2千ドル(約372億円)の解決金を支払った。イリノイ州の工場についても2017年に製造した車両は14両に過ぎず同年10月以降は生産実績が無かった事から、翌2018年8月をもって閉鎖され、日本車輌製造はアメリカにおける鉄道車両製造から撤退した。
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