標準化の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 16:23 UTC 版)
1987年まで、dBASEの様々なクローンが次々に生まれていた。それらはそれぞれ独自の言語機能と構文を備えていた。そのため、ある製品向けのコードを別の製品で動作させるのは難しかった。対照的にC言語やCOBOLは公式の標準が公開されていたため、移植性が高かった。dBASE言語の標準を求める声は多かったが、dBASEに関する全てをアシュトンテイトが所有していたため、標準化は不可能だった。 ボーランドが1991年にアシュトンテイトを買収すると(合併の条件として全ての法的問題の終結と反トラスト関連状態の改善がなされた)、標準化が現実味を帯びてきた。ANSIの委員会 (ANSI/X3J19) が公式に結成され、1992年に定例の会合が開催されるようになった。Marc Schnapp が最初の議長となり、Vulcan と dBASE II が生まれた場所であるジェット推進研究所で1回目の会合が開かれた。その後数年間、定期的に各地で会合が開かれ、各ベンダーの代表が参加した。参加者は標準の必要性を口にしたものの、どのベンダーも自社製品の仕様を他社のものと合わせようとはしなかった。
※この「標準化の動き」の解説は、「xBase」の解説の一部です。
「標準化の動き」を含む「xBase」の記事については、「xBase」の概要を参照ください。
- 標準化の動きのページへのリンク