製茶業
製茶
製茶業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/22 06:04 UTC 版)
明治7年(1874年)小鹿村出島団四郎の協力を得て、小鹿に宇治茶伝習所を設けた。 明治10年(1877年)小鹿村出島団四郎、南条安兵衛らの協力を得て、小鹿に紅茶伝習所を開設。 明治12年(1879年)安西三丁目の尾崎家の屋敷内に紅茶伝習所を開設。紅茶会社を創り販売を試みる。 明治13年(1880年)北番町に富士製茶会社を設けて製茶の問屋業を営んだ。この会社は、後に謙光社を吸収合併し富士商会となり、富士製茶株式会社の起点となった。 明治17年(1884年)静岡茶業組合を結成。初代組合長となる。静岡県茶業組合取締所設立、初代総括は丸尾文六、幹事は海野孝三郎、尾崎伊兵衛は同所議員に選ばれた。 明治18年(1885年)小沢戸屋を会社組織に変更し、改めて合名尾崎国産会社とする。合名尾崎国産社は、明治37年(1904年)に静岡市内の茶取扱店舗のうち、有名店を並べたものの内に名を残す。 同年 静岡製茶直輸出会社の新設に参画。開設当初の役員(頭取)となる。取締役に丸尾文六、海野孝三郎。 明治21年(1888年)静岡製茶直輸出会社は、静岡県製茶直輸出会社(明治25年解散)と改められる。 同年 富士製茶会社に岡田良一郎(大日本報徳社社長:岡田良平、一木喜徳郎の父)、安田七郎の参加を得て、合資会社富士商会に名称を変更。 明治22年(1889年)静岡市茶業組合の結成。初代(明治22~30)及び三代目組合長(明治34~大正15)となる。 明治23年(1890年)茶業中央会議所議員となる。(静岡県定員6名)10期20年の永きに亘って議員として尽す。 明治27年(1895年)合資会社富士商会は富士合資会社となる。 同年 日本製茶株式会社設立(社長:大谷嘉兵衛)取締役に就任。 明治31年(1898年)堀之内(菊川)に製茶工場を設ける。 同年 東陽製茶貿易株式会社を発起人として設立。 明治33年(1900年)堀之内の工場を北番町に吸収し富士製茶株式会社となり、初代社長として選ばれた。 明治36年(1903年)富士製茶株式会社の再製茶は第五回内国勧業博覧会で名誉銀牌受賞する。 大正6年(1917年)日本紅茶株式会社設立。大谷嘉兵衛、中村円一郎と共に取締役に就任。
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