幼少期~初土俵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 08:51 UTC 版)
1877年に呉羽丘陵の近く、農業の傍ら製茶業を営む老本治助の次男として生まれた。老本家の茶は品評会で常に一等で、幼い頃から茶葉の手揉みを手伝っていたことから怪力が付き、これによって針のごとく鋭い優良品を生み出し、茶の品評会では必ず優勝したという。兵役検査での優秀な成績が評判になり、友綱が貴重な逸材として欲しがったが本人は相撲に興味が無く、実家も長男を早く失っているので猛反対された。諦め切れない友綱は板垣退助や西郷従道、さらには警察署長や当時の富山県知事である金尾稜厳を動員して、1899年に友綱部屋へ入門させた。 肩の故障や流感・脚気などの影響で、入門1年後の1900年5月場所に幕下付け出しで初土俵を踏む。四股名は地元・富山県の立山と常陸山谷右エ門に迫れという願いを込めて板垣退助によって「太刀山」と命名された。
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