幼少期~御勘定時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 02:26 UTC 版)
笠間藩主井上河内守の家臣・和田市右衛門直舎の次男として、江戸に生まれる。幼名は岩之助。後に伊兵衛、八郎左衛門と改めていく。その後、徳川御三卿の一つである田安徳川家家臣早川伊兵衛正諶の養子となったが、1766年(明和3年)正紀が28歳の時、幕臣の早川宗家に跡継ぎが無いため、幕府に許されて宗家を継いだ。 1769年(明和6年)31歳の時に勘定奉行所勘定役に出世し、1781年(天明元年)まで在職。その間、財政、土木上の貢献が大きく、中でも特筆に値するのは、関東諸国の河川工事の功労である。1775年(安永4年)には幕府から報奨として、時服2領、黄金2枚を賜っている。
※この「幼少期~御勘定時代」の解説は、「早川正紀」の解説の一部です。
「幼少期~御勘定時代」を含む「早川正紀」の記事については、「早川正紀」の概要を参照ください。
- 幼少期~御勘定時代のページへのリンク