二条冬実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/01 15:04 UTC 版)
二条 冬実(にじょう ふゆざね)は、南北朝時代から室町時代にかけての公卿。関白二条師基の孫にして、関白二条教基の子。父祖と同様、南朝に仕えた。河内玉櫛荘(大阪府東大阪市)を本拠とし、玉櫛(たまくし)と号する[2]。
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- ^ 東京大学史料編纂所蔵・大乗院伝来の『摂家系図』二条殿流には、冬実の袖書に「南朝関白、左大臣、従一位」とある。
- ^ 「玉櫛」とは、冬実個人の号ではなく、南朝二条家(師基―教基―冬実)一門の家名であったらしい(『大乗院日記目録』延文5年5月8日条)。
- ^ 『南朝公卿補任』によれば、冬実の官歴は以下のとおりだが、年齢を始めとして根本史料との乖離が大きく、とても信用し得る内容ではない。
元弘2年/正慶元年(1332年)生誕、正平3年(1348年)従三位(左中将如元)、同7年(1352年)正三位、同10年(1355年)権中納言、同11年(1356年)従二位、同14年(1359年)権大納言、同15年(1360年)左大将、同16年(1361年)正二位、同17年(1362年)右大臣、同19年(1364年)左大臣従一位、同24年(1369年)関白氏長者。 - ^ 二条家本『玉葉』承安5年夏記の奥書に「元中元年六月八日進一見了、/関白長〔ママ〕」と見える。この長■(なが―)は下1字が不明であり、南朝二条家の中に該当する人名を見出せないが、系譜を調べると、冬実こそが長■に相当する人物として考えられる。おそらく長■は初名で、後に冬実と改名したのであろう。
- ^ 『経嗣公記』同年正月5日条
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